“tFont/fTime”を読み解くガイド~読む文字から感じる文字へ

メディアテクノロジーの進展と相まって、急速にオリジナルフォント(文字)のデジタルデザイン化が進展しています。文字の歴史を振り返ってみると、それは人間の古代文明まで遡りますが、文字が複製メディアとして大量生産されたのは、15世紀ドイツのグーテンベルクが発明した活版印刷技術が起源となります。以来、活版文字という、物質から起こされた一種の立体彫刻である鋳型としての活字は、近現代までの長期間にわたって維持されてきています。その後、活字を写真転写した写植が版下に利用され、デジタル時代にはデジタルデータとして文字を扱うDTP(デスクトップパブリッシング)に至ります。文字の生産性とデザインにフォーカスしてみると、大量の複製を前提にした汎用性、共有性が、文字のグラフィカルなデザインとシステムの制限を作り出してきたことがわかります。しかし、現在のITを背景としたデジタルテクノロジーの高速化と進展を背景に、汎用性、共有性を保ちつつも、ウェブなどのネットワーク上での展開が主眼となった、これまでの物質的範型にとらわれない自由で個性的な文字デザインが、デジタルグラフィックスとして容易に可能となってきました。その理由は何でしょうか。

ウェブカルチャーが創出する歪みと揺らぎ

セミトラによる新作プロジェクト“tFont/fTime”は、時間が文字を作り出し、文字で時間をデザインするこころみです。<時間をベースにした文字><時間を意識した文字>とはどういった展望をもたらすのでしょうか。セミトラの発想をもとに、ここで2つの視点を提案してみましょう。最初に、ウェブを中心としたネットワークカルチャーと時間の影響関係に注目してみます。従来われわれの生活や思考は、視るものと視られるものの安定した静的な認識基盤にもとづいて成立してきました。映画やTVなどがもたらす映像は動的なものですが、それらのメディアのルーティン化したコンティニュイティ(連続性)は、先を予想できる一環性や受動性をもたらし、俯瞰的に見れば、揺るがない図と地、安定した時間と空間の関係を作り出す素材として、静的基盤の一部にとけ込んでいました。しかしインターネット出現以降のウェブカルチャーは、共有性を提供しながらも、時間はつねに連続的ではなく、前後左右を自由にカットアップしアレンジ可能な、どこまでもパーソナルなコミュニケーションをベースにおいています。それは、どこからでも引用可能な複雑多層の情報系を、同時並列的にパレット状にポップアップできるポッシブル(可能態)としての現実をキープしています。この、メディアと人間の関係は、寸断的で即時多発的であり、一律的な公共的時間が侵入不可能な、いつでも伸び縮みができるメディア生理的と称してもいいような時間性に依存しています。当然、人間の知覚と情報処理の関係、持続に対する精神力も変容をたどっていくでしょう。文字は、知覚と情報をインターフェースする存在です。その文字が、背景の認識基盤である、時間/空間が歪むことで揺らいでいくのです。 セミトラは、今回の“tFont/fTime”において、「歪む」(瞬間的に変化する)と「劣化する」(長時間をかけて変化する)の2種類の変容モードを用意し、それらが同時並行に作用することよって変化する時間体系を、文字の生成に導入しています。人間が目にしているあらゆる複製映像は、静止画像が連続して動くアニメーションですが、IT時代になり、画像の空間性=解像度(1画面の画像密度)と、画像の時間性=フレームレート(1秒間に何コマを連続描写するか)がメディアによって多様化し、定型を持たない状態になりつつあります。“tFont/fTime”では、このようなメディアのフォーマットが上下左右に変化する、つまり時間フレームが可変的になり、知覚にも影響を持つことで、文字が伝えるものがどのように変容するかをこころみています。同じ文字のアニメーションがシャッタースピードの違いで、また異なるハードウェアシステムであるディスプレイや解像度の違いで、どのように変容して見えるのか、が同時に提示されていきます。

ストリートにおける知覚とアクション

さらに次の視点として、スケートボード(スケボー)などによるストリートカルチャーのもたらす知覚性を、ここでは重要視しています。スケートボーダーは、都市を一種の交通メディウム=ヴィークルであるボードに乗って漂流・徘徊します。それは公的な車道や歩道から設計されている本来の公共空間都市とは異なる、変則的な経路や流れを自ら創作しています。ボードという触覚的媒介物の作り出す多様な変化[空間的な高低、回転、衝撃、摩擦、反復、ズレなど]によってボーダーの身体はつねに変容し、身体知覚としての瞬間速度は、状況対応によって大きな振れ幅を持つ多様性に微分化されていきます。そこには、これまで認識できなかったような二次活用としてのパーソナルな都市像が出現します。これは近代的なグランドプランによる都市観からは想定されてこなかった、微細な狭間としての都市の触覚性、身体性といえるのではないでしょうか。それゆえ、ボーダーたちの生み出す、歪んだ映像都市とグラフィティとしての記号性=文字カルチャーは、切実な関係にあるといえるでしょう。今回の“tFont/fTime”は、視覚だけではない身体知覚性と文字の成り立ち=リアクションとしての文字、に注目したプロジェクトといえるのです。

ネットワークからインスタレーションへ

グラフィックデザインを形成していた知覚とメディアの関係は、ネットワーク時代のリアリティによって大きく変容してきています。ウェブという、時間が空間を呑み込んでしまっているメディアから、空間が時間を支配しているインスタレーションという表現形式へと、ネットワークを介して侵入していくシステムを構想・設計・実現したのが“tFont/fTime”です。この作品のシステム(*開発言語はオープンソースを使用)は、サーバーネットワーク上に作品が時間を持って生成しており、YCAM館内に設置された様々な表現アウトプットメディアやインターネット上から、その姿が垣間見えてくるという新しい形式をとっています。したがって、設定されたパラメータやプログラムは展示公開中にも、アーティストが常に書き換えられる可能性を持ったシステムを構築しています。作品には終わりがなく常に変化し、また変化を受け入れる可能性を意図的に内包したプロジェクトなのです。
文/阿部一直(YCAM)