「Pure φ (純粋 φ)」は、キャンバスとしての大型スクリーンに投影される、インターフェースとしての映像絵画です。通常のグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)が、記号やアイコンによる図としてのインターフェイスを実現するものだとすれば、この「Pure φ」は面的な場としてのスクリーンをキャンバスとする、絵としてのインターフェイスを表現しています。
スクリーンの前方には、眼のメタファーとしてのアクティブな4つのデジタル・カメラが設置され、この4つのカメラからの入力から得られるオプティカル・フローによって、ランダム・ドットのフィードバック・ループが流動します。複数のカメラの切り替えは、分析的キュビズムにおける多視点性に相当し、それをオールオーヴァーなカラーフィールド・ペインティングのように、大スクリーンに投影しています。
流動するランダム・ドットによるインターフェイスは、具象的なメタファーや機能を有しない抽象インターフェイスだといえます。スクリーンのサイズを身体を包み込むスケールとし、鑑賞者の位置にゆるやかな段差を持った大地のメタファーとしてのステージを設けることで、包囲光配列としてのテクスチャーの運動による生態光学的インターフェイスを構築しています。
インターフェイスにおいて、透過性 (窓) と反映性 (鏡) のバランスは特に重要です。オプティカル・フローにより流動するスクリーン上のノイズは動きの鏡に相当し、そこから仮現的に知覚される(であろう) Pure φ 、すなわち「動くものは見えないけれど、動きだけが見える」運動感こそが、スクリーンという窓から見えるものに相当しています。
原理的には、1つの網膜像から無数の物体が復元できるように、身体中心座標系の「視覚運動システム」から生まれる空間は、常にダイナミックに生成消滅しています。段差を有するステージ上での身体の動き (行為) が網膜に入力する視覚データを変化させ、その変化がさらに新たな行為を生成します。眼こそが環境の情報を獲得するためのインターフェイスであり、恒常性を求める間接的な知覚システムではなく、直接的な視覚運動システムのダイナミズムから、行為と視覚がダイレクトに結びついたインタラクションが生み出されるのです。
新作(YCAM委嘱作品)
純粋φ- Abstract Painterly Interface
久保田晃弘
久保田晃弘/Akihiro Kubota
サウンド&ソフトウェア・アーティスト。コンピュータやフィジカルな楽器などによる音響映像作品の制作と演奏を通じて、デジタル、アルゴリズム、ネットワーク、即興、インターフェースなどに関する考察を続ける。特にライブ・コーディングとナチュラル・コンピューティングを組み合わせた、ハイブリッドな計算によるインタラクションの可能性を探求している。近年、人間の知覚や身体に依拠しない宇宙人のための情報芸術(離散芸術論)と細胞を素材としたバイオ造形に関するプロジェクトを開始。多摩美術大学情報デザイン学科教授/学科長。
http://re-marks.ycam.jp/profile/akihiro-kubota/