本展に寄せて

メディアアート作品の保存の難しさは、YCAMも長年にわたって直面してきた問題だ。YCAMは開館以来、15周年を迎える今年に至るまで、メディアアート作品の制作を続けてきたが、同時にその裏側では、作品の再展示や再上演のための修復やメンテナンスを絶えず行ってきている。

その過程では、わずか数年前に制作したソフトウェアが動かない、壊れたものと同じ機材や部品が手に入らない、設計図からソースコードまで細かく仕組みがわかるように記述しておかないと製作者でも使いかたを忘れてしまう、さらには作品制作に関わっていたスタッフが職場を離れてしまうなど、様々な問題に何度も遭遇し、その度に部分的な作り直しや、資料の整備などが必要になった。

しかし、こうして維持されてきた作品も、現実的にはいつかコストが見合わなくなる時がやってきて、同じ状態での公開が難しくなる時がくる。また、使われている技術の潮流の変化が速く、その作品が作られた背景や意味も短い期間で変化してしまいがちだ。例えば、AIの技術を用いて作られた作品の意味は、AIが十分に普及した後にはおそらく多少なりとも変わってしまうだろう。

ただ、こういったことはメディアアートだけの問題ではなく、長い目で見ればほとんどのアート作品で言えることなのかもしれない。物質を永久に保存することはとても難しいし、仮にできたとしても、時代が変化する中で、その作品が何故、どのような背景や意図で作られたのかといった、時代の文脈を残しておくことも容易ではない。

では何が残せるのか、何を残すべきなのだろうか。この問いはYCAMにとっても、その活動を通じ、この土地の文化に貢献するために何を残せるのか、何を残すべきなのか、といった組織そのものの本質的な問いにつながっている。

今回、アーティストであるエキソニモを共同キュレーターとして迎え、メディアアートの保存や修復といったテーマからスタートして話をしているうちに、「メディアアートの墓」を作るという案に至った。そしてこれまでの15年の間にYCAMと関わりのあったアーティストの方々に作品の死生観や、墓に納めたい作品はあるか、などの問いを投げかけた。問いに対する回答はそれぞれのアーティストの立場や思想を反映しており、示唆に富んでいる。これらは、最終的にメディアアートの墓の周辺の随所に掲示されることになった。

メディアアートの墓の中には、参加作家の過去作から選ばれた作品について、当時を思い起こさせるようなもの、作家自身が墓に納めたいものが納められている。一般的に、墓は故人そのものではなく、訪れた人が、故人について思いを馳せる場として機能する。この墓の中では、過去の作品に思いを馳せることができる。

墓について考えることは同時に物事の終わりについて考えることでもある。終わりはその次の未来につながっている。アートにとどまらず、私たちが未来に残していくべき大切なものについて考えるきっかけになればと思う。

PROFILE

伊藤隆之Takayuki Ito

YCAMインターラボ R&Dディレクター