「メディアアートの輪廻転生」を巡って。

千房けん輔と藤幡正樹の対話、そしてその後の思考

この展覧会に先立って、千房けん輔から今回の展覧会の趣旨を聞かされた時には、「こりゃーいったい誰が参加するのだろうか」と思った。彼の提案では「古墳を模した展示会場を作って、そこに動かなくなった作品を葬る」とあったからで、「墓に自分の作品を入れるのは嫌だな。」という極めて直接的かつ、身体的な反応だった。理由は多分「殺されたくない、いつまでも生きていたい」という思いが、自分の中に、また自分が作った作品に対してあるのだろう。しかし、ここに「墓」と「作品」という異なった対象が混同されているように思えてきたので、千房からの最初のメイルに対して、以下のような返事をした。

墓というのは、死者に永遠の命を与えるというのが目的で、たとえ、それがメタファーであれ、残された者が死者を思い起こすために作られてますね。記憶を想起させる機能を持っているという意味では、詩的装置であるともいえ、芸術作品であるといえます。古墳といった巨大なものになってくると、死者の力の象徴だから、さまざまな目に見えない神を纏うことになるわけですな。ともかく、古墳や墓は死んでいないことを示すための装置であるといえる。また、同様に作家にとっての「作品」は、「墓」であるとも言えるわけで、物理的な人間の身体には寿命があるけれども、「作品は永遠の命を持つ。」という言い方があって、それは物として永遠であるのではなく、概念として永遠に生き延びる可能性がある。ま、いまだにアリストテレスが、、とかデカルトが、、とか議論の対象になるのは、彼らの言説が「永遠の命を持って」残っているからですね。つまり、作品制作は墓掘りである、と。

なぜ人間は先立っていった先人たちを墓に葬るのでしょうか?作品もまた葬る必要があるのでしょうか?本来あらゆる素材はリサイクルされるのが自然な姿で、絵画だって、過去の絵の上に新しい絵が描かれることもある。われわれの場合には、ひとつのコンピュータにいくつもの作品が入っているというのが普通の状態である。「葬る」というのは、ともかく余程のことなのではないでしょうか?そこで次に「壊れた作品」ということばが問題視されます。

実は、「壊れた作品」というのがまた難しい。何か目に見える部分の欠損、変形という物理的な側面は、何とか似たものを持ってきて見た目元に戻せばいい。しかし、問題は設計図が無い場合だね。そこで多くの場合は、設計図を憶測する。考古学はこういう学問だね。それが作られた理由と時代の技術を憶測して、設計図を作る。設計図とそれを制作する素材が揃えば、壊れた作品はなんでも修復可能であると言えると思う。もっとも、ナムジュン・パイクの作品の設計図が残っていたとして、ブラウン管で見せるという指示が無かったら、今なら液晶ディスプレイで再現されても問題はないでしょう。ブラウン管という指定があったら、ブラウン管を作る工場を建てればいい。バッハの時代の音楽が楽しまれているのは、譜面が残っているからで、演奏者はその譜面の解釈に喜びを感じているし、聞く側もその解釈を読み解いてゆく。チェンバロのために書かれた曲をサックスで吹いたりしているわけだからね。つまり、譜面はプログラムで、その背後にあるアルゴリズムを現出させるのが演奏。パイクの作品もアルゴリズムがあって、その一作例として、あるいはプロトタイプとして作られたに過ぎないと考えれば、ことなったバージョンが作られても構わないんじゃないか。実際、あんなに作品にバリエーションがあるのは、同じアルゴリズムで作っているからでしょう。1965年の《Magnet TV》は、ブラウン管でなければ絶対に実現不可能な作品なので、これはブラウン管じゃないとだめだけど、液晶でもブラウン管でも大丈夫だと思われる作品もありますね。

メディアアート作品は、電気を使うという前提があるので、電気が無くなったら機能しなくなるという基本的なジレンマがあるね。閉館日のZKMは、プロジェクターの電気落としているけど、作品を止めてないから音が聞こえたりしています。これ機械として壊れてないけど、作品として機能してない。物として目に見えるものは揃っている。どれも壊れていないけど、エネルギーが欠損している。

リテラシーが欠損しているということもあるかもしれない。20年ぐらい前まで、うちではダイヤル電話(黒電話)が好きだったのでずっと使っていたんだけど、子供の友達が遊びに来て遅くなったので、「お母さんに、電話かけておきなさいよ」と言って電話を見せたらダイヤルを回転させることを知らなくて、穴に指を入れて押してましたからね。使い方がわからなくて機能しない例ですね。

コンピュータを使った作品というカテゴリーの中では、データとアルゴリズムの関係が問題になると思うけど、アルゴリズムの記述メディアとしてプログラミング言語があると考えると、特定のプログラミング言語でしか書けないアルゴリズムは無いと思うので、もうほとんど壊れようがない。あり得るのは、必要なデータが壊れて、復元不能な状態になっているぐらいじゃないですか?でもそれはデータ管理がまずいんですよねー。

こうやって考えると、なかなか千房が言う「壊れた作品」というのが難しい。もう残っている可能性は、作家がどうやって作ったのか忘れたぐらい奇跡的にできてしまった作品なのに、なんらかの理由で見れなくなった、動かなくなった。あるいは、始めから念力で動いている作品。あるいは、そもそも初めから動かない作品。初めから壊れている作品。ということになるのではないかと、。そういえば、エキソニモの作品のいくつかは、壊れてゆくことや壊れていること、そのものがテーマの作品ありますよね。じゃあ、新しく壊れていることがテーマの作品をみんなが作ればいいのではないかな。というあたりが結論かな。

これについて千房からの返信。

藤幡さんが書いている、作品の修復可能性ですが、僕はあまり楽観視してなくて(今までしてこなかったと言った方が良いかも。最近は若干緩く捉えてますが、。)例えばうちの作品で、90年代のデスクトップで、ある特定のブラウザの上で動いていたプログラムが、今の時代のOS上でエミュレーションされても、何かが違うと感じてしまったりもします。それはアーティストが細かいことを言っているだけで、他の人からしたらどうでも良いことかもしれないのですが、。わりと僕達が、いつも非常に細かいところにこだわっていたりして(一見、雑な作品に見えますけどw)、コード内でも、その機材環境での反応速度が、納得のいく速度になるように、コンマ秒のウェイトを入れたり、展示の照明の強さを感覚で「ここだ」と決めたり。これがその時のマシンや機材の環境と相互に関係しているので、単純に数値化出来なくて困っていました。映像であれば、フレームレートだったり、画角だったりと一般的な尺度がありますが、技術の流動性が高いメディアアートは、規格化が追いつかなくて、そういう意味で保存が難しいと思っています。

前述したうちの作品は「作家がどうやって作ったのか忘れたぐらい奇跡的にできてしまった作品」度合いが高かったです。その時使っていたコンピュータとインターネットの速度と、プログラミングの幼稚さによって成り立っていたみたいなことですね。「壊れる」と言っても、いろいろあると思っていて、うちの作品で、おもちゃの戦車の砲台にマウスを接続して暴走する作品は、ほとんどモータが壊れてしまいました(単純に機械的に壊れたモノ)。人類の英知を注ぎ込めばなんでも修復できるかもしれないですが、そもそも修復する必要がないような作品(ほとんどがそう?)。例えば、その当時の先端の技術をデモンストレーションしていたに過ぎなかったような作品で、技術が進んだら存在意義が無くなってしまったとか。壊れたというか、作品自体死んでしまったみたいなもの。メディアアートの危うさってそういうところにもあると思います。

で、藤幡が返信。

でも、これはいわゆる駄作ってやつのことだよん。山ほどあるんじゃないの、。おもしろくない作品、しかも動いていたのに動かないブツじゃ、展示にならないでしょう。そっちに行かないで、壊れるという意味を肯定的に考えさせるような展示にしないといけないですなー。いっそ戦争博物館とかが参考になるんじゃないの?戦争と技術は密接しているし、兵器は破壊のための技術だし、戦争はその結果だからねー。北朝鮮の戦力誇示のテレビ放送とか、だいじょうぶなのかと思って、笑えるよね。一度も使われずに保管されたままの核弾頭とかマジで扱いが難しいらしいですよ。それって平和の象徴だよね。

千房。

「一度も使われずに保管されたままの核弾頭=平和の象徴」またすごいのが出ましたね。タモリが「LOVEさえなければPEACE」と言ったとかいうのを思い出しました。

藤幡。

要点がいくつかあると思うのだけど、過去の歴史的な流れの中で見るとこういう問題って要するに「時代の批評精神」として扱われるんだと思うんだよね。作品ってだいたいその時代の何かに対する批評で成り立っているでしょ。メディアアートは基本的にメディアに対する批評じゃないですか。問題なのは、その批評の対象が時代とともに消滅しちゃうケースだよね。それでもその作品に意味があると感じた人がいれば、言説の生成がなされて、作品が言説とともに残るというのがこれまでの歴史的な展開です。

でもってまた千房からの返信。

僕はこれ(アートが「時代の批評精神」として扱われるということ)を、NYに来た時にホイットニー・ミュージアムに行って、アメリカのアートを歴史でズラッと並べているのを見てものすごく感じました。作品の中に、その時代にアーティストがビビッドに反応した痕跡が残ってるんですよね。これは文章や他の方法では残せない潜在意識的な何かだと気がついて、アートの役割に少し気が付かされました。その後しばらく、後世に残らないメディアで作品を作る意味ってあるのか?と自問する時期もありました。今は「保存性」を考えて作品を作るのは本末転倒だと思っていますが、作品とバックグラウンドを丁寧に解説すれば、その時のインパクトまではいかなくても、意義を感じ取れるくらいはいけますよね。それでも全く良いことだと思っています。

さらに、千房から続きます。

より儚いメディアアートは、そういう意味でユニークさがあるとも言えるかもしれません。キネティックなアートも壊れたら動かなくなりますが、そこに彫刻的な何か(遺体?)のようなものが残ります。

これに対して藤幡が返信。

あー、なんかやっと千房が言っていることがわかったような気がする。メディアアートは時代の産物なんだよ。時間とともに意味を失うという前提で作品のことを考えればいいんだ。機械が変化してゆくし、対象となっているメディアも変化しているからねー。墓じゃなくて、遺体安置所だ。遺体をみても当時の状態が見える、想像できるといいのだが、メディアアートでは無理かもしれんな。工夫がいるかもしれないし、次世代の連中は、それを見ただけで問題なく想像できるかもしれない。例えば、シンセサイザーって近代音楽の遺体だとと呼べませんか?シンセサイザーによって近代の12音階音楽が殺されたんだ。実際にはそんな音は出ないくせして、広報的には「どんな音色でも出せます」って、言っていたわけだから、ヒドくないですか?

千房。

「シンセサイザーは近代音楽の遺体」ものすごいパンチライン出ましたね!!ちょっとまだ理解しきれていませんが。。。つまり、『シンセサイザーは「どんな音色も出せる」と銘打って登場して12音階を殺す勢いで成功したけど、全くそれが出来ている訳ではない』ということですよね?!

といった形でやりとりは展開し続けるのですが、とりあえず本題に戻って、以下のようなまとめをしています。

「壊れた作品」をどう解釈するのかということが会話のはじまりだったのだと思い至りました。まず、共通している認識は、作品と鑑賞者の間で必要なものが交換されない状態を壊れた状態と考えました。物理的に破損しているとか、電源が入らないとか、ソフトウエアの一部、あるいは外部のライブラリーなどが失われているとか、。逆に作家と作品との間でまだ変化がある状態を「作品が死んでいない」と比喩的に言うことがあって、これは完成していない、あるいは社会的に位置づけができない状態などを指すのだと思います。この2つの考えを合体させると、電源が入って動くメディアアートは、鑑賞者との間での動的な関係によって成立する作品なので、作品が社会的な位置に定着されることがなく「死ににくい」と考えることができるのではないかなと思います。もしも完全に時代や社会や人間に寄り添って、時間とともに変化し続ける作品があったとすると、その作品を定義することは非常に難しい。メディアアートの難しさは機材やOSの問題もあるけど、作品と鑑賞者の関係性(=メディア)に注目しているからではないですかね。

メディアがテーマであるだけに「死ににくい」けれども、電源を落とすとテーマとなっているメディアとは関係のない機材だけが見えることになるという、アンビバレントは状態にあるということですかね。メディアアートは、簡単には死なないくせに、簡単に機能しなくなる。これに対して従来型の物に依拠する作品は、簡単には機能不全には陥らないことによって、作品としては死んでくれる。当たり前のこと言ってましたね。作品として死んだから機能不全に陥りにくいんですね。

「墓」ということなんですが、墓はやはり先人に永遠の命を与える場だと思うんだよね。サルバドール・ダリは「不死の技法」とか言っていたと思いますが、絵画に自分が残り続けるから自分が絵画をやっているのは、不死の技法を探すためにやっているとか言ってました。しかし、ダリの言っていることは美術館という墓という制度があってこそ言える発言で、中国の文化大革命みたいに、全部破壊する時代だってくるかもしれないんだから、必ずしも当てはまらない。これに対する反論は、それでも優れた美術品は文革時代にちゃんと持ち出されて、周辺諸国が保管したわけです。ということは、要点は「優れた作品」なら残るということです。だとすると「優れた作品」という判断はどこから来るかという話しになる。ダリのいう「不死の技法」は優れた作品という概念のプロモーションによってのみ成り立っているのかもしれんなーと、。ちなみに、この間ベニスのグッゲンハイム美術館でダリの小さな作品を見たんだけど、もう目で見ても読めないぐらいの小さな文字で書かれた文章があったり、描かれていると思った部分が印刷物の切れ端しを貼ったものであったりしてたんだよね。、目が悪くなっているから、iPhoneでわざわざクローズアップして見たぐらいです。見る人を惹きつけるというか、いまだに発見がある。

以上を踏まえると、かなりアクロバットだけど、「不死をテーマにしたメディアアートは作れるか」というのが、千房の目論んでいる展示のテーマじゃないですか?誘われる側からすると「壊れた作品を墓に入れませんか?」と言われるよりもやる気が出ますね。

といったメイル上での展開が一ヶ月ほど続いたのだが、それがとても楽しかったのである。その後オープニング前に実際に現場に入り、千房本人に会い。また、他の作家の皆さん、懐かしい面々に会い、それぞれの死んだといわれている作品をつぶさに見るにつけ、次第にいろいろな考えが広がっていったので、それについてさらに書いておこうと思う。

見えてきたメディアアート作品の背景

まず、メディアアート作品というのは、おおよそ新しいメディア技術を使った作品という枠組みがあるのだが、実際に意味のある、つまり価値のある作品というのは、それによって人間の知覚や認識にどういった変容があるのかを、新しい表象を探ることで実験している作品のことなのだと思うのである。ところがこの考え方は、メディアアートに限ったことではないことに気がつく。どんな時代でも革新的な作品がでてくる背景には、根本的な疑念が背後にある。それは、社会的、政治的な変容であったり、科学的な変容である場合などいろいろなので、バリエーションは限りない。メディアアートはメディア技術の急速な変化に対する疑念を背景に持った根源的(ラディカル)で、実験的な活動なのである。

実際に時代の流れの中では、ビデオ技術が出てくるとアーティストたちは、ビデオで撮影するといったいなにが写るのかを実験した作品を作りだす。コピー機がでてくると同様な実験がでてくる。コンピュータが出てきても同様。それは、やがてインターネットにまで広がってゆく。その変容するメディアに対応して、そのたびに異なったアプローチが実験され、見たことのない発見が生み出されてきた。しかし、その変化があまりにも早いために、2千年の長さで作り込まれてきた従来型の美術理論や、美術史が使っているメディア理解(素材や画材や技法)で、これを解釈することはほぼ不可能である。まず、目の前にある絵画が、油絵の具で描かれた絵なのか、水彩画なのかがわからなくては、学芸員は務まらないが、メディアアートを理解したり、批評するためには、これらの技術の変転をトレースできていなくてはならない。さらにその上で見えてくるのが、アーティストがいったい何をやったかであり、スペックや需要に応答するだけの作業とは、違ったアーティストの創造性ということになる。

メディアアートが、ともかく新しい技術に興味があるのは、それを使って、それを理解したいという欲求に端を発している。それを自分のものにしたいという欲望が背後にあると言ってもいいかもしれない。しかし、こうした欲求はメディアアートに限ったことではない。例えば、レオナルドが油画の技法をいち早く使って失敗しているように、またアニッシュ・カプーアが、これ以上考えられない黒い塗料が発明された途端に、その特許を買い占めたようにである。まさに、この黒い塗料の存在そのものが、彼には彼の独占物に感じられたのだあろう。その意味で彼は極めてメディアに対する意識が高いということが言える。(とはいえ、あまりにも利己的な行為だったので、ほうぼうから非難を浴びたこともまた事実であったが、。)

新しい技術はいつも蠱惑(こわく)的な対象である。それは自分にはない力であり、それまでには見たことのない世界への扉を開けてくれる鍵に見えるものだ。それ故に、それを使った作品を作るということには難しさもある。技術が全面にでてしまうことで、技術の新しさに作品が飲まれてしまい、ただ単純に技術のデモンストレーションになってしまうことが多々あるからである。まさにそれこそが作品が落ちてゆくということだ。作品と呼ばれるには、技術のデモンストレーションではなく、それが技術の本質を照らし出していなければならない。それによってはじめて、作品は技術と対等な立場に立つことができるわけであり、技術を批判することが可能になる。しかし、ある作品が、こうした立ち位置に立っているかどうかを見極めることができるためには、その技術が枯れるまで、ある程度の時間を隔てる必要がある。

これがメディアアートにおける作品の成立条件である。たとえば写真がアートとして評価されるようになるまでに時間がかかったように、時代の流行が廃れ、技術が枯れていかないと、その作品の本質は見えてこない。今回の展示プロジェクトが、たとえ壊れた作品を対象としているとはいえ、それぞれの作家の過去作品を扱っていることは、その意味で非常に重要である。時代が隔たったことで見えてくることが多くあるからである。

さて、死について

オープン当日のシンポジウムでは、僕は、「アート作品は、3度死ぬ。」と提案した。まず、作品の成立、作品の誕生とともに、作品は作家の手を離れてゆくというのが僕の考えであり、僕の実体験である。それが良い作品の条件なのである。作品は、作家のもとで生まれて、鑑賞者という他者(まず初めには、それは作者自身であるのだが、)と出会い、そして鑑賞者に受け入れられた途端に、それは作者の手を離れて、作者が手を加えることのできないものになってしまう。つまりは、ここで一旦死を向かえるのである。

その後、作品は他者の間で生き続けることになる。作品は、次々と新しい鑑賞者に観察され、体験され、作者も知らなかった意味が見る者たちによって発見されてゆく。この未知の領域の深さが作品の生命の長さを表していると言ってもいいだろう。数千年の時を経て未だに意味不明であり、解釈を待たれている、たとえば洞窟壁画などに出会うと、われわれは困惑し、同時にそれを読み解きたい欲求に駆られるわけである。こうして作品は見る者たちの間をさまよってゆくのだが、それがある特定の誰かによって所有されることによって、第2の死を向かえることになる。(大友良英の東京都現代美術館に収蔵された作品(《without records》)を彼自身が展示のために借り受けようとした時に、あまりにも厳重にパッキングされているために、展示搬入に係る予算が膨大になってしまい、本人も展示を諦めたという話は、まさにこれにあたる。永遠の命を獲得したと同時に、過剰な延命装置に取り囲まれていたというわけだ。)

とはいえ、たとえ運良く博物館に入ったとしても、そこに行けばいつでも見られるということは、誰も特段興味をもたなくなるということであり、結果誰も見なくなるということではないだろうか。おおよそ、忘れ去られてゆくという死がそこにはある。こういった場所における、美術史、美術研究とは遺体の腑分け作業であり、そこに光を当ててゆくのがキュレーションであり、これらは作者さえも知らなかった価値を作品に見出そうという活動なのである。その意味では、死者がいつでも蘇ることができるようにと作品を管理しているのが博物館であるのだ。

ところが、博物館とて永遠の場所ではない。いずれにしても、戦争による破壊や腐食等の被害は免れ得ない。物質である限り、いつかは必ず物質としての死がやってくる。これが、もっともわかりやすい第3の「物質的な死」である。というわけで、作品として生まれ、作者の手を離れ、受容者によってより開かれ、忘れられ、そして修復不可能になる。というのが、はじめに提案した作品の3回の死であった。

ここでさらに、もうちょっと引いたところから見てみよう。こうした物質としての死を中心に据えた死生観は、主に美術館、博物館という近代を生み出した装置が作り出したものだ。これに対して、アートをよりパーフォーマティブなものとして、受容者の経験として作品を考えることもできる。それは音楽といった空間に消えてゆく作品の場合に顕著である。(アンケートへの返答で、クリストフ・シャルルは、「コンサートやパフォーマンスは一過性で、終了するとすぐに消滅します。モナリザはまた、時間の経過と共に絶えず変化しています。私たちは、以前と同じモナリザを二度と見ることはできません。」と、答えている。)音楽は経験としてしか生きていくことができないのであって、それを物として固定することは不可能である。それはレコードやCDという物になっているとしても、それを再生する装置とともに過ごす時間が必要であるという意味で考えなくてはならない。楽譜もまた演奏という行為なくしては経験されない。譜面を見るだけで音楽が聴こえる優れた演奏者でさえ、その音楽は時間の中にある。こうした経験から考えるならばメディアアートは絵画よりも音楽的である。実際のところ、印刷されたカタログではわからないことがほとんどであり、時間の中で、触れて経験することが重要であるからだ。

こうした経験とその記憶を作品と呼ぶのであれば、作品は受け手の中で輪廻転生し続けてゆくことになる。昔どこかで、「賛美歌はキリストの教えを伝えるためのメディアである。」と書かれた文章を読み、興味深いメディアの捉え方に目を開かされる思いがしたが、まさに身体がメディアとなって音楽を再生することで、キリストが降り立つという図式がここには構成されている。賛美歌にも人間の身体にも、電気やスイッチはついていないのだが、まさにこれはメディアの根源的な使い方と考えることができる。その意味では、たとえそれを伝える身体が死に至るとも、次世代によって伝えられ続ける作品は死なないということになる。

というわけで、メディアアート作品は、物質でできている、と同時に人間による経験を問題視している点で、「死なない」と「死ぬ」の間を、ずっと往復運動しているということになるのであった。

PROFILE

藤幡正樹[編]Masaki Fujihata (ed.)

メディアアーティスト
メディアアートのパイオニアとして、1980年代にCG作品《Mandala1983》、《MIROKU_Maitreya》をSigGraph等で発表して話題となる。その後コンピュータによる彫刻作品《Geometric Love》、《Forbidden Fruits》を経て、90年代にはインタラクティブ作品《Beyond Pages》を発表、同作品は98年にドイツ、カールスルーへのZKMに収蔵される。96年に《Global Interior Project #2》が、オーストリア、リンツのアルス・エレクトロニカ・フェスティバルで日本人初のゴールデン・ニカを受賞。1992年の《生け捕られた速度》から2012年の《Voices of Aliveness》へと続く「Field-Works」シリーズは、動画にGPSによる位置情報を付加することで仮想空間と現実空間をつなぎ、記録と記憶の新しい可能性を実験し続ける作品群であり、評価が高い。2016年には、70年代から現在までの主だった作品をARを使って見ることのできるアーカイブ本《anarchive #6 Masaki Fujihata》をフランスで出版。現在は、記憶とアイデンティティをテーマにし、フォトグラメトリーとARで記録を再現するプロジェクト《BeHere》を香港で推進中。2015年に東京藝術大学を早期退職。2017年はリンツ芸術大学、2018年は香港バプティスト大学の客員教授。