メディアとしての墓

いつだって「生きて」ることにするために

1. 「どうしたら本当に死んだことになるのか?」

私は、非常勤先の大学の授業で、墓や記念碑、演劇などを取り混ぜた記憶に関する授業を担当している。その最後の課題として「自分(たち)を遺す上で有用なメディア=墓をデザインする」という課題をほぼ毎回課してきた。100名を超す授業で発表も課されることから、SF的な想像力に富んだ「墓」や、SNSの個人アカウントを「墓」と見なしたもの、そしていわゆる一般的な石の墓まで、さまざまな「墓」が提案される。普段、息をするようにスマホを使っている学生たちにとっても、「墓はデジタルではなく石であるべき」という考えが根強い中で[i]、毎回数名から提出されるのが「自然に消えてなくなる」ことを企図した「墓」だ。これは、散骨や道端の石、もしくは時間とともに朽ちてなくなってしまう木材で代用され、自分の半径数メートルにいるような人たちにだけ届けばよいという考え方らしい。

墓というと、「どのようにして墓を遺し維持するか」という方向に考えが向きがちであるが、「どうやったら本当に無くなる=死んだことになるのか」ということの方が、ことデジタル・メディアに囲まれた今の環境にとっては難しいことなのだと気づかされる。これは、今年の5月にEUで施行されたGDPR(EU一般データ保護規則)の「忘れられる権利」にも呼応する課題と言えるだろう。

 

2. ホウリカ→モニュメント

そもそも、墓とはどのような機能をもつモノとして存在していたのか。「ハカ」の語源を探ってみると、次のような定義に突き当たる。

一説には、それ(筆者註:「ハカという言葉の語源」)は「放り投げる場所」あるいは「放りすてる場所」をあらわす、ホウリカから転じたものであるとされる。「葬る」という動詞は、古くハフルと言い、「放る」と同意であった。また「カ」は、場所を表す言葉である。つまり「放り投げる場所」の意であるホウリ・カがいつのまにかハカと短縮されて呼ばれるようになったという推論である[ii]

ここで触れられているように、ハカはもともとホウリ・カと発音されていたものとされ、遺体が放り投げられる場所と認識されていたようだ。例えば、日本には両墓制という、遺体を埋める埋め墓と参るための墓の両方をつくる慣習をもつ地域もある[iii]。この両墓制という様式は、墓の特徴を如実に表していると言えないだろうか。第一に、墓は死体という強烈な物体を収めるためのものとしてあること。埋め墓の多くは、居住地から遠くに配置されるようで、このことはまた死体との距離感を表している。その一方で、第二に墓は故人を慕う気持ちのよりどころとしてもあること。参り墓をつくるとは、死体そのものとはまた別に、故人への思いを吐露する場所=記念碑を必要とすることを表している。その意味で、墓は故人という存在を現世に「拡張」させる装置と言えるのだ。それでは、墓はいつから生者に「近づいて」きたのか。

文化が稍進んでくると人間の情理が並進し、死者に對する恐怖厭惡等は變じて、哀情追懐の念となり、死者に對する禮儀となり、之を永く記念する適當の施設をなすに至り斯くて墓は漸次發達したが古今東西民族の異なるに從ひ其發達經過及び造營法式を異にし要するに
(1)宗教的約束 (2)人倫關係 (3)政治及社會制度
(4)經濟干渉 (5)土地の状態 (6)藝術的技能
等によつて支配されるので千差萬別の樣式が生ずる[iv]

(現代仮名遣い:文化が稍(ようやく)進んでくると、人間の情理が並進し、死者に対する恐怖嫌悪等は変容して、哀情追懐の念となり、死者に対する礼儀となり、これを永く記念するための適当の施設となすに至りかくて墓は漸次発達したが古今東西民族の異なるに従いその発達経過及び造営方式を異にし要するに
(1)宗教的約束 (2)人倫関係 (3)政治及び社会制度
(4)経済干渉 (5)土地の状態 (6)芸術的技能
等によって支配されるので千差万別の様式が生じる。)

上記は、建築家の伊東忠太が昭和のはじめに残した文章であるが、故人に対する「恐怖嫌悪」が「文化」―――ここでいう「文化」は都市化の流れや火葬技術を基盤とした儀礼・慣習という意味合いもあると考えられるーーーによって変容し、故人を「永く記念」する機能が重視されるに至ったと解釈することができるようだ。現に、伊東忠太がこの文章を表した頃には、著名人の墓を参ることを趣味とする墓参家(墓参行為の形式から掃苔家ソウタイカとも言われる)が登場し、墓を巡りながら故人に想いを馳せ、故人をつなぎながら歴史物語を紡ぐといったようなことも行われていた。当時は、今のようなマスメディアもない時代であるから、故人を介して、自身の属する共同体の来歴を知るということもあっただろう。墓はその意味で、現世の共同体意識を補完する装置とも言うことができる。もちろん、ここでの「補完」情報は、遺された者たちによって「都合よく」読み替えられていくものでもある。墓がもつことのできる情報(家族や場所、場合によっては生前の業績)とともに故人「像」が形成され、遺された者たちはその墓を介して故人を思うと同時に、故人とともにある共同体のことを意識させられるのである。

 

3. 墓参者を「演じる」ために必要なこと

このようにして、墓は共同体をつなぐ歴史の結節点=モニュメントとしての機能が重要視されるわけであるが、モニュメントと言ってもそのほかの記念碑の形式と異なり、特有の墓参行為があることも強調しておきたい。

墓には故人のために花を供える装置があるだけでなく、苔や汚れを落とすために掃除をし、手を合わせて故人を思うという行為がある。墓という装置と墓参行為という儀礼があることによって、私たちは墓地で墓参者という役割を担い、そこで故人の存在を思うという「演技」をすることが可能となる。墓を故人と見立てて「今年も来たよ、こんなことがあったよ」といった声をかけながら掃除をし、あたかも故人がそこにいるかのように振る舞うことによって、故人を「生かし」続けることができるのだ。この「演技」が繰り返されていくことによって、墓は参られるべき神聖な場所としての存在価値を帯びることとなる。したがって、墓というモノ自体をどうつくるかだけでなく、その墓への墓参行為が継承されるかどうかが、モニュメントとしての墓を考える時には重要なことなのである。

つまるところ、墓は人の「死」に近しいところにあるメディアでありながら、故人の存在をこの世界に残し続ける仕組みを持つという意味では、「死なせない」ためのメディアと言える。「社会的な死」を迎えた時に「本当に死ぬ」のだという考え方もあるように、人は肉体的に死を迎えた後にも、その人のことを覚えている人がいるかぎりは社会的に「生きている」とも言われる。他者を介して「死」を想像することは、その他者をどこまでも「生き永らえさせる」ことでもあるのだ。

 

4. デジタル・メディアは半永久的であるかどうか

この「社会的な死」に対する「延命措置」は、デジタル・メディアがコミュニケーションの主となっていく中では、より容易に行うことができそうな気がしてしまう。デジタル・メディア使いによる自分自身の「断片保存」が日常となっているいま、私たちはなかなか忘れてもらえないだけでなく、自分という「像」をどう結び、どう見せるかにも気を配ることができるようになった。顔や動きといった視覚的イメージや、声がデジタルで記録できるようになると、墓石に保存できる情報のみで故人を語り継いでいた頃とは、当然のことながら故人情報の厚みが変わってくる。

かと思えば、2015年に出版された『故人サイト』で紹介されているブログやホームページなど、個人で運営していたサイトの「終わり」がそのまま故人の記録として、時にWWW上の「墓」のような形で遺されていくこともある。これらのサイトはその人の痕跡ではあるが、その人自身ではないという意味では、墓と言うよりも遺品の一部と言った方がよいかもしれない。生前に故人が使っていたホームページやSNSのアカウントも、死後そのまま残されていく場合には、より故人に近いところと捉えられ、死後にもそのサイトを訪れる人が絶えず、墓のように使われている事例も見られる。しかし、このような「墓」は半永久的に残されるかと思いきや、そうでもないらしい。『故人サイト』をまとめた古田雄介氏は、インタビューで次のように語っている。

2006年くらいにブログブームがあったのですが、当時は無料のレンタルスペースを使っていたものが多く、その後それを運営していた企業も潰れたり方向転換したりして、今はもう残っていないものが多いんです。平均的に見たら、サイトは数年から5年くらい残っているのが普通、10年後に残っていたらレアで、20年後はほとんどない、というのが現状だと思います。だからインターネット上って意外と半永久的じゃないんですよ[v]

ここで述べられるように、WWW上のサイトはともすると自身の予期せぬところで「終わり」を迎えてしまうものであるようだ。デジタル資料は劣化はせずとも、残すためには意識的な保存努力を要するものとも言えるだろう。

ウェブサイトとメディアアートを同じように語ることはできないが、このことは、「メディアアートの輪廻転生」とも共有する点でもある。本展では、今の時代においてさまざまな理由で「再現」不可能であると作家が判断した作品が、仮設「墳墓」内の「墓室」に並べられている。その「墓室」の前で、ヘッドホンから流れる音声ガイドによって再演されることは、これらのメディアアート作品が「生きていた」時のメディア史的語りであり、当時のパフォーマンスの写真であり、個々の作家の今の思いである。ガイドを手に持って、個々の作品の断片を見聞しながら、その作品やその作品が「生きていた」時代の「像」を結ぶという行為を鑑賞者は強制的に行うことになり、この行為自体はなるほどメディアアートに対する「墓参」行為と言えるのかもしれない。

というよりも、メディアアートは物理的に再現可能性があることを考えれば、作家によって作品を「安楽死」させることに近い状態と言った方が適切かとも考える。少なくとも、「メディアアートの死」を捉える時に、現時点ではどのような情報・行為が必要だと考えられるかを提示したと言えるだろう。メディアアートは、その時々のメディア環境によって様態が変わるものであるから、次に「メディアアートの墓」がつくられる時にはまた別の墓の形や墓参行為へと更新されていくことだってあるはずだ。

Fragment of the inscription on a grave. The truly amazing is the deepness of the engraving – no wind or rain will be able to remove it for next thousand years.[vi]

(和意訳:これは日本の墓に掘られている文字の写真である。驚くべきは彫られている文字の深さだ。この深さがあれば、どんな雨風を受けようと、この先1000年は消えないだろう。)

最後に、知人から紹介してもらったポーランド人の墓参家による日本の墓文字の解釈について記して、本稿の締めくくりとしたい。この短い文章は、東京のどこかの誰かの墓に彫ってあった「千」の文字をクロースアップした写真とともに、彼のFlickrサイト上に添えられていたものである。海外の墓石に彫られる文字は、いわば彫刻刀で彫ったような浅い文字のものが多い印象があり、それらと比べると、日本の墓文字は異様なまでに深く彫られていると言える。これを読むまでは、日本のいわゆる一般的な墓文字の彫りの「深さ」に千年もの時間が読み込めるとは考えてもみなかった。言われてみれば、そうである。ずっと残っていくこと自体が特異なことであり、残したいものだからといってそのままずっと残せるわけではけしてないのだ。

 

[i] この文章を書いている間に、一般社団法人全国優良石材店が、葬送に関する意識調査の結果を公表し、20代の若年層において墓石を重視する傾向があることが明らかになったという。

[ii] 引用は、橋爪紳也(1989)「日本の墓の歴史」, 『芸術新潮』40(8) 通巻476号, 60 より。他にも民俗学者の中山太郎も、「ハカ」の語源について次のように記している。「大昔は葬をハフルと云ひ、これを管掌する者をハフリ(祝)と云ふた。そして、ハフルの語源は放る―即ち屍体を放り棄てたので斯く稱すと云ふ説と、祝は鳥の羽のやうな袖のある装束をしてゐたので、その袖を羽ふつたので此の名が起こったと云ふ説がある。しかし、私に言はせると両説とも穏当を欠き、必ずしも古意を伝へたものと考へられぬ。それは此の場合に参考すべき国語にはふる(屠)と云ふが存することである。かく葬―祝―屠の三者が同語で呼ばれる処から推して、此の間に濃厚なる関係があることが窮知される」参考:中山太郎(1942) 「民俗學より見たる墳墓制」, 『掃苔』, 東京名墓顕彰会11(2),  27-35.

[iii] 両墓制の解釈には諸説あるが、ここでは「死者に対する恐怖や穢れから死者を村境の外に捨てるかのように埋葬した場所が埋墓なのであり、それとは関係なしに死者尊重の考えから、仏教信仰に基づいて礼拝供養するために建てられたものが詣墓」(森 1993:92)という解釈によった。参考:森謙二(1993)『墓と葬送の社会史』講談社現代新書

[iv] 伊東忠太「墓」(1927)『冥福』3号, 2.

[v] 「死者が遺した「故人サイト」にある生々しさ―古田雄介さんインタビュー【前編】」
https://ddnavi.com/news/287636/a/ 2018年9月23日参照.

[vi] FUNEBRE_116_mg | Maurycy Gomulicki 2018年9月16日参照.
http://www.flickr.com/photos/vonmurr/369658186/in/set-72157594446485015/

 

PROFILE

阿部 純

研究者 / 掃苔家 / 福山大学人間文化学部メディア・映像学科講師

東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。専門はメディア文化史。研究対象は、墓に始まり、いまは各地のzineの表象分析・ライフスタイル研究に従事。共著に『文化人とは何か?』(東京書籍、2010)、『建築の際』(平凡社、2015)、『現代メディア・イベント論: パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』(勁草書房、2017)など。現在は、尾道を拠点に、尾道在住のアーティストや学芸員、空き家再生家、研究者たちとAIR zine編集室を立ち上げ、『AIR zine』というzineも発行中。
http://air-zine.tumblr.com