久保田晃弘

Akihiro Kubota

ご自身の作品の寿命について考えることはありますか? どのようなことを考えていますか?
ソフトウェアをベースとした作品の場合、作品が実行でき、ソースコード(に相当するもの)を改変し続けれられることが「生きている」ということだと思っています。作品の寿命=作品(という種)が存続している期間の長さ、とすればこの定義で寿命というものを考えることができます。細胞分裂で増える単細胞生物に、個体の死はありますが、その寿命は永遠です(実際には接合による遺伝子交換をしないと、やがては死に至るそうですが)。
タイムマシーンで100年後に行けるとしたら、どのような形であなたの作品と出会いたいですか?
100年後のシステムで作品を実行し(あるいは実行できるように改変し)、そのシステムが可能するニューバージョンを作成したいと思います。
人の死についての定義も様々ですが、もし「作品の死」を定義するとしたら、あなたはどのような状態が作品の死だといえると思いますか?
作品の死とは、それが実行したり改変できなくなること、通常の意味でいえば「アーカイブ化」することです。もちろん、人は死者を弔ったり、死者から学ぶこともできるので、墓=アーカイブに意味がないわけではありません。
YCAMに作られる「メディアアートの墓」に、ご自身の作品の中で入れたい作品はありますか?
もしあるなら、どの作品をどのような形で入れたいですか?
どの作品も、まだすべて実行改変できるので、現時点ではありません。
その他、ご意見ありましたらお聞かせください。
メディアアート作品を「生きたまま」維持保存する場は、もう墓でもアーカイブでもありません。作品が共同体の中で永遠に変化しつづけられる=生き続けられるとすれば、それはまさに荒川修作+マドリンギンズがいうところの(メディアアート作品の)宿命反転の場(Site of Reversible Destiny)です。作品が死なない場としての「〇〇(まだ名前はない)」をつくりたいと思います。