アコシュ・マローイ

Akos Maroy

ご自身の作品の寿命について考えることはありますか? どのようなことを考えていますか?
テクノロジーに焦点を当てた作品の寿命についてとても関心をもっています。
ある視点から見れば、作品に使用されている技術が時代遅れになることは、未来の鑑賞者にとってその技術が古くてなじみがないもので、時代から遅れていて古臭いものに見えてしまうことで、作品のことを理解することが困難になることを意味します。
あるいは別の視点から見ると、芸術作品で使用される技術は製造中止になったり、サポートが打ち切りになったりします。技術を提供する企業がサポートの停止を決定できることは、技術を専有し、閉じたものにするため現実的に行われています。 そのため、こういった作品を長く維持することは難しいのです。
タイムマシーンで100年後に行けるとしたら、どのような形であなたの作品と出会いたいですか?
私は自分の作品がその時代の方法で表現されてほしいと思います。 つまり、作品のコアとなるコンセプトはそのままに、その時代の技術的手段を用いて作品が再制作されて、鑑賞者にオリジナルと同じメッセージと経験が伝えられるようになってほしい。こうすれば、作品が常にその時代の鑑賞者と関連づけられるのです。
人の死についての定義も様々ですが、もし「作品の死」を定義するとしたら、あなたはどのような状態が作品の死だといえると思いますか?
「死」を定義する一つの方法は、芸術作品が完全に停止し、オリジナルと同じように動く形で展示できなくなった時だと思います。 この場合、作品の死体解剖といったように、その作品の細かな分析や記録であれば提示することができるでしょう。 おそらく、動かくなくなったハードウェアと過去の記録というような感じでしょうか。

バイオアート作品は、自然なかたちで死にます。生物が自然のプロセスで死んでいくように。 このことは、死にゆく運命であることが作品の中に本質的に組み込まれていることを強調します。

死について考えるもう一つの方法として、時間と費用の制約などのために最初の場所での展示がうまくいかなかった場合、それは「到着時から死んでいる」という考え方もあるでしょう。
YCAMに作られる「メディアアートの墓」に、ご自身の作品の中で入れたい作品はありますか?
もしあるなら、どの作品をどのような形で入れたいですか?
2007年に発表したdoubleNegatives Architectureによる《Corpora inSi(gh)te》がここで展示されたら面白いでしょう。この作品は 10年以上も前のものなので、技術の面で時代遅れと言われかねません。 しかし、ピアツーピアのメッシュネットワークとコミュニケーション、拡張現実、生成的デザイン、空間の主観的認識といった、作品の根底にあるコンセプトや技術は今や広く普及しました。

この作品を現在の技術を利用して、同じコンセプトの下で同時代的な経験をもたらすなんて想像してみたら面白いかもしれません。例えば、主観的な視覚体験のためにARスマートグラスを使い、Zigbeeではなく、データ収集のために無線メッシュネットワークプロトコルとしてLoRaを使用するなどです。
その他、ご意見ありましたらお聞かせください。