dj sniff

ご自身の作品の寿命について考えることはありますか? どのようなことを考えていますか?
自分の作品は演奏されたり再生されたりする時にのみ存在するので、それを生きているとも死んでいるとも考えたことがありません。 ただ現れそして立ち去るだけのものと思っています。
タイムマシーンで100年後に行けるとしたら、どのような形であなたの作品と出会いたいですか?
細切れの断片でも良いので他の人の作品の中で使われていたらいいなと思います。
人の死についての定義も様々ですが、もし「作品の死」を定義するとしたら、あなたはどのような状態が作品の死だといえると思いますか?
創造性の連鎖を生み出さなくなったもの、その現存性以上のものを何も喚起させないものは芸術としては存在していないのではないでしょうか。
YCAMに作られる「メディアアートの墓」に、ご自身の作品の中で入れたい作品はありますか?
もしあるなら、どの作品をどのような形で入れたいですか?
昔作った基盤、回路、楽器インターフェイスが沢山残っています。使わなくなったUSB, SCSI, Firewire, RS232などのケーブル類とともに何かの作品のためになったら良いなと思います。
その他、ご意見ありましたらお聞かせください。
権力を伴わないで作られる古墳、侵犯や略奪ではない古墳の体験はありえるのでしょうか?