古舘健

Ken Furudate

ご自身の作品の寿命について考えることはありますか? どのようなことを考えていますか?
The SINE WAVE ORCHESTRA(SWO)については考えていない。SWOの作品は、当初はパフォーマンスが主であり、その場で消えていってしまうことが重要な要素の一つだった。それは権威的なものに対する反感であった。ーあくまでも「当初」はそう考えていて、今はちょっと違う風に考えている部分もある。また、一方で ー原理的にSWOを考えるのであればー インストラクション、ルールだけが残っていればSWOの作品には寿命はない。
タイムマシーンで100年後に行けるとしたら、どのような形であなたの作品と出会いたいですか?
だれかがその時のテクノロジーで再演していること
人の死についての定義も様々ですが、もし「作品の死」を定義するとしたら、あなたはどのような状態が作品の死だといえると思いますか?
再製作・再演不能
YCAMに作られる「メディアアートの墓」に、ご自身の作品の中で入れたい作品はありますか?
もしあるなら、どの作品をどのような形で入れたいですか?
特になし、、、
その他、ご意見ありましたらお聞かせください。
SWOに関しての話が主になってしまったけれど、個人の作品については、作品の寿命、という段階までは思いが及んでいないのが正直なところ、、、
その一方で、古橋悌二氏によるインスタレーション「LOVERS」の修復、三輪眞弘氏と前田真二郎氏によるモノローグオペラ「新しい時代」の再演、また、Dumb Typeの旧作を元にした新たなインスタレーションのクリエーションに関わるなど、他のアーティスト/エンジニアより、過去作品に関わる機会は多いのかもしれない。
自身が参加した古橋悌二氏による「LOVERS」の修復・保存に加え、三上晴子氏による一連の作品の修復・保存、そして、國府理氏「水中エンジン」の再制作、この3つの同時期に行われた企画、それぞれ関係者に話を聞く機会があり、それらの取り組みを比較すると異なるアプローチで面白い。「LOVERS」では、作品そのものが失われたとしても再制作できるようにデータ/リソースの整理を行った ー 作品が一度死んでも生き返られられる。対して、三上晴子氏の一連の作品についての取り組みは、今、動いているものをアップデートし続けている ー サイボーグのように、作品を生きながらさえ続ける。「水中エンジン」では、その再制作に取り組むこと、ある種の「不可能生」に取り組むこと自体を、一つのロマンとしてまた別の一つの作品として表そうとしているように見える ー フランケンシュタインを作り上げようとする「試み」。
蛇足ではあるが、「LOVERS」は同時期にMoMAに修復されたエディションの修復も行われた。聞くところによると、当時のプロジェクターをeBayなどで買い集め、何台も倉庫にしまっているらしい。京都で修復した「LOVERS」は、プロジェクターを現在のLED光源のものへとリプレースした。