江渡浩一郎

Eto Koichiro

ご自身の作品の寿命について考えることはありますか? どのようなことを考えていますか?
よく考えますね。自分の作品が残らないことをイメージするようになってからは、逆にいつ終わるのか、またそこから復活する道筋を考えるようになりました。
タイムマシーンで100年後に行けるとしたら、どのような形であなたの作品と出会いたいですか?
年表の中で名前だけ残っている、そのように想像しています。
人の死についての定義も様々ですが、もし「作品の死」を定義するとしたら、あなたはどのような状態が作品の死だといえると思いますか?
記憶から無くなること
YCAMに作られる「メディアアートの墓」に、ご自身の作品の中で入れたい作品はありますか?
もしあるなら、どの作品をどのような形で入れたいですか?
手元にあるHDDを入れるかなぁ。1997年にWebHopperを作って運用していたときのHDD。今では普通に扱うことはできない、基幹ネットワークのトラフィック情報なども含まれていました。
その他、ご意見ありましたらお聞かせください。
「メディアアートの墓」という切口は面白いものの、なぜ「アートの墓」ではないのかという疑問を持ちました。