石橋素

Motoi Ishibashi

ご自身の作品の寿命について考えることはありますか? どのようなことを考えていますか?
作品の意味的な寿命、ということを考えたことはあまりありません。安定性や再現性、という意味で機材やシステム構成、使用する技術を考えることはありますし、それは常に作品と一体となっている気がします。
タイムマシーンで100年後に行けるとしたら、どのような形であなたの作品と出会いたいですか?
作品としてトライしていたようなことが一般的な環境に溶け込んでいたり、普通に人々の周りに溢れていたり、そういう状況だと面白いかな、とたまに思います。
人の死についての定義も様々ですが、もし「作品の死」を定義するとしたら、あなたはどのような状態が作品の死だといえると思いますか?
設計した通りに動作してない状態
YCAMに作られる「メディアアートの墓」に、ご自身の作品の中で入れたい作品はありますか?
もしあるなら、どの作品をどのような形で入れたいですか?
その他、ご意見ありましたらお聞かせください。