徳井直生

Nao Tokui

ご自身の作品の寿命について考えることはありますか? どのようなことを考えていますか?
OSであったりマシンが変わって動かなくなるというのもありますが、それ以上に技術が変化して作品としてrelevantじゃなくなるのが怖いです。 (日本語でうまい言い方がわからないのですが、実質的な価値、問いとしての妥当性がなくなるという感じでしょうか)
タイムマシーンで100年後に行けるとしたら、どのような形であなたの作品と出会いたいですか?
タイムマシーンが使えるなら、いったん100年後を見てから現在に戻って手直ししたいなぁ(笑 100年前にも(メディアや技術は変わったとしても)同じような問題意識を持っていた人がいたんだなと振り返ってもらえるようにしたいです.
人の死についての定義も様々ですが、もし「作品の死」を定義するとしたら、あなたはどのような状態が作品の死だといえると思いますか?
死を定義することは難しいですが、生きている作品というのを定義する方がまだ簡単そう。僕にとって生きている作品は、物事の見方や問題意識がいまも意味を持っている/妥当な作品です。
YCAMに作られる「メディアアートの墓」に、ご自身の作品の中で入れたい作品はありますか?
もしあるなら、どの作品をどのような形で入れたいですか?
まだどの作品もrelevantだと信じてますが... 強いて言うなら 城くんたちと作っていた一連のiPhoneアプリの作品でしょうか. http://naotokui.net/tag/audible-realities/
アプリが単機能すぎて、今だったらAppleの審査が通らないはず.  当時のiPhoneとともに入れたいです.
その他、ご意見ありましたらお聞かせください。