神田竜

Ryo Kanda

ご自身の作品の寿命について考えることはありますか? どのようなことを考えていますか?
ジェネった白黒ワイアフレームなVJの絵の寿命。誰にでもサクッと出来るんだったら終わるよな、と常々思っていたところでtdブームで溢れ返ったのでほぼ自分の中でお亡くなりになった。
ここ何年かは色とか質感とか元素材とかを考えて作るようになっている。白黒ワイアーフレームな表現は、案件と噛み合うのでなければもう随分とやっていない。
タイムマシーンで100年後に行けるとしたら、どのような形であなたの作品と出会いたいですか?
僕の今の活動的には作品作品って感じで残るようなもんでもない。なので、イベントのアーカイブ動画に見切れてるとか、発掘された作家の年鑑とかにチラ見してたら嬉しい。
人の死についての定義も様々ですが、もし「作品の死」を定義するとしたら、あなたはどのような状態が作品の死だといえると思いますか?
この質問についてメールを貰ってからめちゃ考えていたら気絶してしまって、回答時間が残り15分になってしまった。悲しい。
無理やり&安直に定義したら、作品が完全に忘れられた瞬間が作品の死、なのではないかと思う。
思うのだけど、アートにしろ音楽にしろ、ある作品の存在が忘れられている、と同時に、後続のある作品が無意識に忘れられた作品の影響を受けている、というのは起こり得る。そうなってくると一度世の中に出た作品は別の作品の中に遺伝子とか呪いみたいな感じで永遠に生きる、という考え方もできる。
話題は逸れるかもしれないが、作品は発掘/発見されることもあるし、復活も有り得る。絵画作品の場合は現物が燃えたらほぼ復活不可能だが、ソフトウェアアートの場合、どれだけ古くてもソースコードが発掘され、コンパイルが通れば昔と同じ姿で復活可能である。記録動画さえあれば、ソースコードが違っても、優れたプログラマーが目コピで転生させる可能性もある。
そういうことを考えているとソフトウェアのアートを完全に殺すの凄く難しい気がしてきた。ゾンビのようだ。
YCAMに作られる「メディアアートの墓」に、ご自身の作品の中で入れたい作品はありますか?
もしあるなら、どの作品をどのような形で入れたいですか?
MaxパッチとかoFのコードとかtdのtoxとか。実行しないと中身がわからないプログラムの詰め合わせが入ったUSBメモリを入れたい。ということを同業者10人くらいが同時に言う気がする。
その他、ご意見ありましたらお聞かせください。