Story

ストーリー
 

 

ギ・あいうえおスは、 世界を奏でる。

広大な草原に1台の車「くじら号2」が通過する。車には謎の男たち「ギ・あいうえおス」が乗っている。ギ・あいえうおスはバンドである。楽器を持たず、映画制作のツールを用いて音楽を奏でるように映画をつくる。訪れた土地と、実際にそこに住む「特徴的な」人物たちに出会いながら、目には見えない世界について話しを伺っていく。そこで一体何が起きるのか、誰にもわからないまま旅は続く……。


待望の新作が7年ぶりに公開!
異才・柴田 剛が放つ、最旬エクスペリメンタル・ロードムービー。

『おそいひと』(2004年)などで注目を集め、前作『ギ・あいうえおス ‒ずばぬけたかえうた‒』(2010年)で、その独特の世界観により多くの観客に衝撃を与えた柴田剛。映画制作クルーが映画を制作していく過程を、音楽を演奏するバンドと同等のものとして描く柴田剛のアイデアによって生まれた『ギ・あいうえおス』。
「ギ・あいうえおスは、おじさんたちの『スタンド・バイ・ミー』。『スタンド・バイ・ミー』では死体を探しに行ったが、今回の“ギ”はUFOを探しに行く!」――と、柴田剛が大まかなストーリーラインを設定し、“ギ”のメンバーを山口県に招集した。
作品の制作者(スタッフ)=登場人物(キャスト)であり、登場人物たちが語る内容を含む、映像上に記憶されたことは、全てその場で起きたことでもある。ドキュメンタリーのように撮影され、フィクションとして編集をおこなった実験的ロードムービー。

Introduction

イントロダクション
 

 

アートセンターがプロデュース!
自由を模索し、寄り道が出来る才能、柴田 剛。

本作は山口情報芸術センター[YCAM](2003年開館 / 山口県山口市)の映画制作プロジェクト「YCAM FILM FACTORY」の一環で制作された初の長編映画である。柴田剛はその第1弾招聘作家として、約1年間に渡って断続的に滞在し、リサーチと撮影、編集、仕上げをおこなった。
YCAMは通常の美術館組織とは異なるアートセンターであり、開館以来アーティストに新作制作の場を提供してきた。各分野の専門的知識を持ったYCAMスタッフが協働することでアーティストの挑戦をサポート。過去には、坂本龍一、野村萬斎、ライゾマティクス(真鍋大度+石橋素)など、錚々たるアーティストたちとジャンルを横断するような作品を共同制作している。
YCAM初プロデュースとなる本作は、別のアーティストの展示企画として進めていた「山口に点在する巨石のマッピング」を足がかりに、その土地の歴史や人物をリサーチ。その過程で、本作に強い影響を与える人々に次々と巡り合っていく。
多領域のアーティストとジャンルを越えた作品を制作するYCAMとタッグを組むことで、柴田剛作品がより豊かに、強度をもって完成した。



 

映画の原始的な魅力を想起させる、
ノイジーで豊潤な音響設計&美しいモノクロームの映像。

画面から溢れでるような環境音は、実際に画面に登場する2つのマイク(ガンマイクと特殊な形態のマイク)によって録音された。サウンドデザインは森野順(Gui 2)。マイク自体が主人公のように雄弁に語る。
撮影は高木風太(Gui 5)。山下敦弘監督『味園ユニバース』、大森立嗣監督『セトウツミ』などで、幅広い才能とタッグを組む近年の日本映画の注目作に欠かせないカメラマンである。柴田剛(監督・原案・編集 / Gui 0)、西村立志(美術・劇中に登場する車両「くじら号2」のデザイン / Gui 1)、酒井力(ラインプロデューサー / Gui 4)らとともに歩んだ予測不可能な旅路を、的確なフレーミングで切り取る。
今回新しく“ギ”に参加するのは、映画『堀川中立売』以来の柴田作品出演となる堀田直蔵(Gui 3)と、オープニングでの水晶ジャグリングで強烈な印象を残すVP-MONCHI(秦浩司 / Gui ?)。
姫路を拠点に活動するファイヤーパフォーマンス集団「AbRabbi ‒油火‒」のリーダー・松本哲生(Gui 7)は、夢幻的なファイヤーパフォーマンスを披露。本作の世界観を屈折させ、後半未知の世界へギ・あいうえおスを誘う役割を果たしている。
また、現代アートシーン最注目のアーティスト・ユニット「hyslom / ヒスロム」のメンバー加藤至(Gui 7)、星野文紀(Gui 8)、吉田祐(Gui 9)は“ギ”の行く先々で、まるで妖精のように遊び、次第に旅に合流していく。
柴田剛監督の呼びかけによって、多彩なジャンルの才能が集結した。

Comment

コメント

 

「遊ぶ」映画監督・柴田 剛

文:杉原永純(本作プロデューサー / YCAMキュレーター)


「柴田監督は、映画で、実に遊んでいよる」
御年83歳・山口情報芸術センター[YCAM]足立明男館長が
本作を見た直後の第一声がこれだった。
異色の映画作家が「遊んだ」痕跡が、この映画には詰まっている。 
 
私は2014年にYCAMに赴任する前、東京にあった「オーディトリウム渋谷」で上映作品のプログラムを担当していた。無数の映画を上映していく中で、たまたま出会ってしまったのが柴田監督の前作「ギ・あいうえおス -ずばぬけたかえうた-」(2010)である。「ギ・あいうえおス 他山の石を以って己の玉を磨くべし」の大枠の設定は、前作から引き継いでいる。 映画制作スタッフが常にカメラの前にいる。彼らが真っ黒のバンに乗って、様々な風景に出向き、録音したり、焚き火をしたり、道に迷ったり、ただそれだけの映画とも言える。映画史初期の映画のような美しいモノクロームのフレーミング。時に荒々しい音響。「ギ・あいうえおスはバンドである。この映画は彼らの旅の記録である」と謎のキャッチコピーのついた、未確認飛行物体のようなこの映画に不意に惹かれた。映画の持つ原初的な魅力が漲っていた。
 
「ギ・あいうえおス 他山の石を以って己の玉を磨くべし」は、メディアアート、パフォーミングアーツなどを扱うアートセンターであるYCAMで初めて製作した長編映画である。優れた映画はすでに無数にある。YCAMで、わざわざ鉤括弧の『映画』を後追いしてもしょうがない。全く別の可能性から、『映画』にハシゴをかけることができるその作家と、ただひたむきに「良い」映画を目指すのではなく、一本の映画づくりから映画のこれまでにない可能性を開くことができないかと企画を立てた。
 
YCAMの映画制作プロジェクト「YCAM FILM FACTORY」では、「自由な映画制作を模索する」をテーマに掲げている。模索するには色々と寄り道が必要になる。寄り道する才能、言い換れば「遊び」ができる作家、それは柴田剛だろうと思いついてから迷いはなかったが、前例がない中で、ひとりの監督に、映画に対する「自由」という荷は、重すぎるかもしれないとも思った。その時に「ギ・あいうえおス」を思い出した。柴田監督一人でなく「ギ・あいうえおス」というチームであれば「自由な」「模索=遊び」が期待できるのでは、と。予想通り、いや予想以上にギ・あいうえおスはこの賭けに真剣に向き合ってくれたと感じる。きっとのその「遊び」の真剣さ、映画を媒体にした「自由さ」は完成した映画から感じ取ってもらえるように思う。 この映画には、不思議なことや、特徴的な人物が出てくるが、いうまでもなく、それらは実際にカメラの前で起きていることです。撮影に付き添った身としていうと、特別な仕掛けはこの映画にはない、ただ「遊び」に、たまたまその場に出向いただけである。信じられないかもしれないけど。