"CLOUD FOREST"のためのガイド
~環境創造としてのインスタレーション
text: 阿部一直/キュレータ(YCAM)
YCAMから、中谷芙二子、高谷史郎に委嘱した滞在制作プロジェクトは、「CLOUD FOREST」と名づけられた。本作の制作にあたって、その最初のモティーフを考えると、少なくとも2つの出発点がある。一つは、YCAMの建築、空間、環境そのものにインストールする作品を構想するということ。そのようなアプローチから、芸術表現における、作品/インスタレーション/環境のあり方を捉え直そうという試みである。そしてもう一方は、2010年が、大阪万博EXPO'70から40 年にあたる、ということがある。当時、様々な話題を振りまいた大阪万博会場の中で、特にペプシ館は、E.A.T.[Experiments in Arts and Technology]の構想による、アート&サイエンスの共同作業において、それまでに見られなかったハイレベルのコンセプトを実現させるという点で、ひと際傑出していた。我々は、現在までの40年の時代の推移を踏まえながら、その再評価を行なうとともに、中谷が最初に「霧の彫刻」を発表したプロジェクトでもあったことを、どのように想起するか、という課題にも取り組むことになる。
大阪万博ペプシ館の先進性
ここのペプシ館は、現在の尺度から展望しても、まさに想像を超えるような圧倒的な構想と、そこにつぎこまれた先端技術が、実際に巨大なスケールをもって実現されているという点で、文字通り驚くべきプロジェクトである。66 年からE.A.T.に参加していた中谷は、ここで初めて、ペプシ館の多面体で構成された巨大な結晶のような外壁を覆い尽くす、「霧の彫刻」を発案した。実装までには、マテリアルの選択から個別の技術開発まで、あらゆる面での思考錯誤があったということであるが、以後、ビデオアーティストとして先駆的な存在であった中谷が、一方で「霧の彫刻」家として、全世界の異なる土地や環境で、霧をインストールするプロジェクトを手がけていく起点となる。
ペプシ館のドーム内部は、直径27mもあり、全面ミラードームとなっている。63 人のアーティスト&科学者が関わったプロジェクトである。レーザー光線も駆使された光学的反射の中で、サウンドを担当したディヴィッド・チュードアは、 32チャンネルの音響システムを作り出し、ドームの天井を菱形のメッシュで構成して37ポイントの交点にスピーカーが仕込まれた。これらは空間全体のサラウンドにもなり、かつ点音源にもなるという画期的なものであった。また床面は10のエリアに分かれ、それぞれ別の物質的質感によってマウントされ、観客はエリアに移動するごとに、フィールドレコーディングされた生態系のナチュラルサウンドと電子回路のライヴエレクトロニクスの別々の音源を聞くことができた。ペプシ館において、E.A.T. が提示したものは、測り知れないものがあり、一概には総括できないが、注目すべき点をあげるとすれば、各分野の専門家の共同作業によって、作品全体が環境として、包括性や相互影響性を生み出す形に作られていること。環境はつねに変化流動し、観客は、環境外部の鑑賞者ではなく、その環境内の存在として捉えられ、インタラクションが想定されている。ペプシ館は、環境創造がアートの対象となっている、まさに先例といっていいだろう。
転換点としての万博
1970年に開催された大阪万博は、ある時代の転換点を予期していたのではないか。それまでの進歩史観による更新性がすべて、オールオーバーな入れ替え、物質的世界の変質に基づく生産性や改革の先に未来を見ていたとすれば、ペプシ館でチュードアや中谷の提示した表現の可能性は、それとは正反対の根源を創出するものだ。非物質的な存在の移動や、アモルファスな粒子の充満による空間=環境の創造を提示し、そしてさらに重要な点は、それが科学的なブループリントにとどまらず、環境に対しての人間の感覚自体を大きく誘導させ、実際に開放させた点に功績があるだろう。ヘーゲルが美学的に総括したように、従来人間の五感の中で、視覚や聴覚は理論的感覚性を持ち、より構築的(ロゴス的)であるとされ、反対に触覚などの他の感覚は単なる物理的感覚値として下位に従属させられていた。古代のアリストテレスにおいても、建築と音楽だけが、芸術の中で最も数学に近い、上位に属する表現となり得たのである。しかし、チュードアや中谷の作り出そうとした、物質と非物質が交錯するアトモスフェアとしての空間は、非言語的、脱設計図的であり、各要素は相互に反射し、浸透するように存在し、環境世界はむしろ触知的空間として捉えられるだろう。芸術は理論の構築証左ではなく、ここでは、環境というターム自体が新しい概念創造であり、目的物に留まらない圏(スフィア)となる。空間の変容を生み出す各要素の特徴は、すでに可視的表象生産世界から、不可視の情報資本主義への移行を予告し、世界観と知覚のバランスの大きな組み替えや転回を表明していたのではなかったか。
"CLOUD FOREST"の視点と可能性
"CLOUD FOREST"において、中谷の人工霧による「霧の彫刻」はまず、YCAMの前庭にあたる野外の広大な公園の中央にインストールされる。館内には、自然環境と人工環境が共存する中庭の2カ所に、空間の上下前後左右から、細かく霧が噴出するシステムをインストールする。霧は、館外と館内で全く違った表情を見せる。今回、中谷の「霧の彫刻」のコラボレーターであり、再解釈者として、高谷史郎が加わっている。(高谷は、2007年に坂本龍一と「LIFE - fluid, invisible, inaudible...」をYCAMで制作し、同年、異常気象が覆う現在の北極を、アーティストと科学者がチームとして観測する国際プロジェクト「Cape Farewell」に参加し、その成果を「アートを通して気候変動を知る」展として発表している。)
高谷が、構案したインスタレーションは、霧が充満変化する中庭内に、外部から太陽光を、時間ごとにトレースして反射させる、ミラー装置を使った光のインスタレーションと、超指向性スピーカーを使用したサウンドインスタレーションをジョイントさせ、環境内部に知覚によって異なるインターフェースとなる空間を作り出すものである。観客は、つねに揺れ動き、多数の方向性を内在させる触覚的な空間=霧中を遊歩する。そして光学的にも、音響的にも、偏在/遍在の極を移行する空間を体験する。反対に、ガラス壁の外側からは、霧中の環境内に滞在する時には見えていない、霧や光の細かな変化の客観的な展望が可能になり、その内/外のギャップを体験することができる。この2つの中庭に左右から挟まれたホワイエは、床中央が鏡面化されており、チュードアへのオマージュとして、音と光の相互の反射に着目したサウンドインスタレーションがセットされる。超指向性スピーカーを36 台マウントした9機の音響装置は、同期/非同期を繰り返しながら、多様なスピードで別々に回転し、超指向性音による音の面を、周囲の環境に対して作りだす。超指向性のため、直接耳に入るアングルでは、身体の周辺に局所的に音が鳴るが、壁に指向性の方向が変わると、今度は向けられた周囲の壁やガラス自体から、音が発しているように響く。それがさらに、不可視の多数に屈曲した線的反射として空間を作り出すので、考えられないほど複雑かつ密度の変化のある音響環境を、生成変化させていく。観客の人数や位置、向く方向、遮りによって感覚する空間は大きく異なってくる。音源は、softpadの南琢也による、自然環境のフィールドレコーディングや、中庭や館内の他の場所からリアルタイムでマイク収録されるノイズ音の加工などが使われる。
アートとしての環境圏は可能か
場と空間に本質的に手を加えず、そのままの状況に、霧、光、音といった透過的で非物質的な表現メディアをインストールし、分断された領域を相互に反射・浸透・生成させていく、人間の知覚自体も相互にインターフェースさせる、というアイデア。その両面からの包括的な「環境圏」を捉えていくという構想は、チュードアが、大阪万博の直後の70 年代に、中谷芙二子、J.M.モニエらと試みたプロジェクト「Island Eye Island Ear」の先進性からも、大きな影響を与えられている。これは、無人島において、霧と風と音(パラボラアンテナによるサウンドビーム)の装置を多数の場所に分散設置し、さらにそれらを相互に影響させあうことによって、島全体をボトムアップ的に覆う不可視の圏を作り出そうという未完のプロジェクトである。霧は流れ、凧は移動し、サウンドビームは他の場所へと放射していく。チュードアの言葉によれば、島という環境を、アートが記述し、反射することになる。
チュードアの「RAINFOREST」は、熱帯雨林という多中心的包括空間を意味していた。その思想をクリティカルに継承しようとする「CLOUD FOREST」は、亜熱帯地域において、つねに上方が霧に包まれているエリア「雲霧林」を示す。そこは、人間の構想管理がおよぶ領域と、完全な埒外の野生の領域の中間のグレーゾーンをも含み、充満の密度の中に、時として局所性が発生する、相互浸透が活性化している特異な場所=相互環境圏ととらえることもでるだろう。 アーティストの役割とは、そうした圏としてとらえられる、非物質的な存在としての環境を、再び分極的に感覚触知可能な、物質的表層存在へとプロジェクション(投射/透写)し、固有の表現としてピクトグラム化することもその使命となる。そこに、不可視/可視がフィードバックする多数の対流が、重層的に生まれてくることが期待されるのではないだろうか。