アーティスト佐藤時啓 プロフィール、コメント、インタビュー

佐藤時啓(さとう・ときひろ)

佐藤時啓写真1957年山形県生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修了。写真やカメラを通して、人々のコミュニケーションや視線の交錯をテーマとし、展覧会やプロジェクト活動、ワークショップなど幅広い活動を行っている。「ハバナ・ビエンナーレ」(1997)ほか多数。2003年には、第20回現代日本彫刻展にて宇部興産株式会社賞を受賞している。現在、東京芸術大学先端芸術表現科助教授。

それは、緑の匂いから始まった。山口芸術情報センターの前に初めて降り立った時の事は今でも鮮明に覚えている。極めて現代的なメディアアートを中心とした活動を行う建物にあって、空気が明らかに違う。折しも蛍の季節で、市の中心を貫く一の坂川を乱舞する、群を成した蛍のリアルタイムな三次元描画光を観る機会も得て、私の感受性は暴走しそうになる。

年間を通じたワークショップであり、最終的に何らかの成果としての展覧会を行うという課題をもらってのスタートだった。YCAMはスタート時の経緯として、企画が館を主体としたものと、市民委員会を中心としたものとに別れていた。説明を聞いても簡単には理解し難いが、いずれにしても、共同企画としてやってくれるという事なので、なるべく皆が納得出来る事を目指そうとした。といっても、一年を通じた計画が始めからあったわけではなく、私自身も、参加者も、全ての関係が影響しあう中で、時間を経て結果的に着地出来れば良いのではないか、という緩い制約でのスタートだった。結果的にそのような進行としては、スリリングな状態もあったが、何とかうまく着地できたのではないだろうか。

表現とは、一方的なものでは面白くない。私も、参加者も、館も、そして山口の町も、それぞれが影響しあって、相互に変化して行く事ができれば最高だ。私は随分と学び、そして得るものがあった。参加者はどうだろう?そして館は?さらに町は?このまとめとしてのHPがそういった内容のための参考になれば幸いである。このプロジェクトに参加し、またHPをまとめてくれた参加者の皆さん、そしてYCAMスタッフの皆さんに心より感謝。

佐藤時啓

佐藤時啓撮影写真

インタビュー
展覧会「"pin-holes" project in yamaguchi 針穴図像 -光の間-」について

2005年3月13日 19:00〜
山口情報芸術センター 多目的室

カメラオブスクラプロジェクト最後の日、約1年間の活動を振り返って佐藤時啓さんに聞いてみたかったことをルチーダフレンズがインタビューしました。

語り手:アーティスト/佐藤時啓
聞き手:ルチーダフレンズ/津室、片山、窪田、佐藤光、原田 YCAM/会田

1.コンセプトについて

津室(ルチーダフレンズ):
今回の展覧会についてコンセプトを教えてください。

佐藤時啓:
コンセプトと言ってもいろいろな切り口があるんですが、まず一方にはワークショップなどを含めたカメラオブスクラプロジェクト全体のコンセプトがあって、もう一方には今回の展覧会で展示したサイトスペシフィックな作品についてというのがあります。

まず、カメラオブスクラプロジェクト自体のコンセプトとしては、非常に単純な「光が映像になる仕組み」を使って、その可能性をみんなに体験してもらって、より幅広い人たちに知ってもらうような事だと思います。

もう一方、今回の最終的な展覧会で示したたくさんのピンホール(針穴)を使った作品についての僕自身の狙い、コンセプトについて話すと、一般的に写真っていう手法は、例えば山口を写すのだったら山口のどこかを写したものっていうことだと思うのだけれど、今回の展覧会のために使用したカメラは、いっぱい穴を開けることによって場面を構築していくっていうか、一枚のフィルムの中に場を組み立てていくっていうていうことをやっていきたいな、と思って多孔式のピンホールカメラを考えたんですよね。

それは単純に、場所を組み立てていく、フィルムの中に違う空間をくっつけていく、カメラの位置を動かしていくという作業によって、一枚のフィルムの中に現実の空間とはまたちょっと違う空間を構築していくようなことなんです。すると、場面を構築することと同時に時間のずれも構築することができるわけですね。時間とか空間を、新たに一枚のフィルムの中に再構築して、普遍的な別の空間、山口を写しつつもユニバーサルな場所を作品として作りたい。抽象的な話になってしまうかもしれないけれど、そういうことを考えていましたね。

原田(ルチーダフレンズ):
YCAMの屋根を写した写真は、ヨーロッパの運河のように見えるとお客さんが言われていました。

佐藤時啓:
写真というのはどうしても、作品そのものよりも写される場所が語られるわけですよね。誰を写すとか、どんな事件を写すとか、どこの場所を写すとかっていうのが問題になってきたわけなんです。今回はそういうことではなくて、もうちょっと作品としての写真を考えたいっていうところが、僕の根底にある。多孔式のカメラについてはそういったコンセプトのもとに考案したんですね。

次に360度カメラのコンセプトとしては、これも、写真のあり方というか、写真を撮る時には「フレーミング」っていうことをするわけですよね。僕も学生に教えたりする時には当然フレーミングって言うんだけど。僕はそのフレーミングっていうこと自体に対して疑問があって。というのは、近代の美術を西洋から輸入して日本で美術っていうものがだんだん育っていく中で、当然、構図を構えたり構成を考えたりすることが出てきた。美術の場合は歴史的にその段階を越えてしまった部分もあるけど、写真の場合はスッポリそこにはまっている。僕自身はそういう近代の文脈を超えたところで表現活動をしたいなと思っているので、近代的と思える事をあまりしたくないんですよ。構図を合わせたり、ピントを合わせたりっていうことを。それをしないで何か表現をすることができないか、っていうのが基本にあるんですね。

ピンホールカメラっていうのは、ピントを合わせる必要がないし、フレーミングもしないわけだよね。でも「撮りたい」っていう気持ちはあるわけでしょ。どっかを撮りたい、このまちを撮りたい、この場所を撮りたいっていうのがあって、そしてそこに行ってカメラをポンと、水平と垂直だけを合わせて置くだけなのね。それは僕が普段考えていることに対して非常に矛盾点がなくて、とにかく撮りたいということを撮るっていうことに純化できている。360度カメラっていうのは、そういったことがすごく重要な部分なんですね。

津室(ルチーダフレンズ):
純化って言われたけれども、機械そのものは24個あったりとか、作るのが複雑で大変なところもあるのですが、そこがまた面白いなと?

佐藤時啓:
手作りの部分はものすごく手間がかかって大変。ただ、作ろうとしている、考えていることはすごく単純なんですね。45度ずつずらしたカメラが8方向3段で24個ついているっていう。すごく手作りで大変なんだけど、やろうとしているシステム自体はものすごくシンプルだと思っています。

津室(ルチーダフレンズ):
展覧会を終えてみてどうでしたか?

佐藤時啓:
今回はすごくラッキーだったなって思いますね。例えば予算規模から考えると、作家にはできることが決まってきちゃうのだけれど、この「針穴図像 -光の間-」という展覧会は予算規模よりも遥かに大きなことができたと思うんですよ。その理由は、YCAMには展示に関するコストをかけないで、内部のスタッフで分担して作ってしまうとか、部材に関しても再利用することでコストを抑えるとかで節約できたわけですよね。そういうこともあって、展覧会の中で、観客に見える部分としては、予算以上のものができたと思っているんですね。このことは、一年間を通じた市民参加のワークショップの最終的な成果としては、とても良かったと思いますね。

2.カメラオブスクラプロジェクトについて

津室(ルチーダフレンズ):
正直言ってプロジェクトの話が来た時、どんなふうに思いましたか?

佐藤時啓:
はじめ、YCAM市民委員会の方から「ワンダリングカメラ」をもって来てください、という話だったんですね。それは、一つのイベントとしての話だったわけだけれど、話がだんだん大きくなって、「1年間を通じて何かできないだろうか」っていう提案をYCAMからいただいた時、僕自身もそういう経験がなかったので、すごく面白そうだなって思いましたね。

普通でもワークショップとか展覧会っていうのはすごく短期なもので、その時だけっていうものなんだけど、それを長期でやってもらえないかっていう話を聞いたときはうれしく思いましたね。ただ、先の計画まで分かってないからね(笑)。その時はそういう風に思ったんだけど、あとでいろいろなスケジュールがぐわーっと入ってきて、大変だったことは大変だったんだけど。でもすごく良かったと思いますね。うれしかったし。

津室(ルチーダフレンズ):
その長期的なカメラオブスクラプロジェクトを終えていかがでしたか?

佐藤時啓:
そうですね。やっぱり最初と最後で全然考えてることが違っている僕自身が、今はっきりと自覚して見えるので、それは非常に成果があったことなんだと思いますね。つまり、去年の春の僕と、今とでは、全然違うじゃないですか。今感じてることも、やったことも、その当時思ってたことと違う。

というのは、当然ここにいらっしゃる皆さんと一緒に過ごしてきたことが理由でもあるし、そのなかでいろんなことがあって、話がねじれたりほどけたりしながら、発展したりしながら、できたことなんだと思うんですね。こういう変化こそが長期にわたる企画の意義かな、と思いますね。

津室(ルチーダフレンズ):
ルチーダフレンズは佐藤さんにとってどんな存在でしたか?

佐藤時啓:
ルチーダフレンズのメーリングリストは面白いね。メールの返事が入ってきたりすると「まーだ夜中まで起きてるよこの人」みたいなね。そういう感じで、非常に親しくコミュニケーションが出来て、友だちがたくさん出来たなと思っています。

津室(ルチーダフレンズ):
市民と関わりのある長期的なプロジェクトについてどう思われますか?

佐藤時啓:
これももうさっき言ったと思うんだけど、あんまり経験がなかったので、すごくいい機会でしたね。

津室(ルチーダフレンズ):
今後、このような市民がコラボレートするっていうプロジェクトにおいて、活動やプロジェクトの課題点とか、どうやったらより良いものが作れるか、という点について伺いたいです。

佐藤時啓:
そうだね。こういうタイプのプロジェクトっていうのは、まだまだやっぱりお互いが経験がないんですよね。アーティストもそういう経験はめったにないだろうし、当然市民も経験ないしね。最初はお互いに何を求めているのかっていうのが、僕自身も分からなかったのね。どういうところに行ったらいいのかっていうのが全然分からなかったんですよ。最初はYCAM側にだってそんなにはっきり「こうしたい」っていうのがあった訳じゃないもんね。

会田(YCAM):
逆に言うと「こうしたい」というのがない、ニュートラルな状態にしようとは意識していました。YCAMがはじめにメニューを用意して、つまり、レールを敷いておいてその上に「市民の皆さん、じゃあ乗っかって走って下さい」っていうのはやめようという意識がありました。アーティストと市民が交わることからスタートするんだ、ということです。

佐藤時啓:
初めのうちは、この活動を最終的にどういう形で発表するか、最終的な展覧会をおこなうべきなのかっていうことが、僕自身にも全然見えてなかった。だから、結果的には僕自身がやりたいことをやったんだけど、それをどういう風にお互いで発酵させていくかっていうことが一番のポイントなんだと思います。

まぁただ、それは一つのあり方だけじゃなくて、それぞれ全然違う組み合わせとか、集まった人によって違ってくることだから、ケースバイケースだと思うんだけど。今後、いろんなチャンスがもっとでてくれば、もっといろんなやり方や方法論がでてくるんだろうなってところだね。こういった長期的なワークショップというのは、今まであまりなかったもんね、やっぱり。

3.山口について

津室(ルチーダフレンズ):
山口は佐藤さんにとって、どんなまちですか?

佐藤時啓:
山口について今までいろんなことを言ったけど、やっぱりすごく他の都市にくらべて山口ってラッキーなまちだよな、と思いますね。いろんな意味でラッキー。まず、古いものがそのまま残っているっていうことはすごい奇跡的なこと。しかもそれでいて、みんなが良いものを求めてるんだろうね。YCAMができちゃったりもしちゃうわけでしょう。まぁ、完成までにいろいろ問題があったかもしれないけれども、それはやっぱりラッキーなんだなぁと思ったりね。

例えばさ、不幸なのは、関東だと東京というまちがあるじゃない?その近隣の都市っていうのはみんな、いくら大きな街でもそこだけで独立出来てなくて、みんな東京に行くためのただのベッドタウンだったりしちゃうんだけどね。そうじゃなくてここはここでちゃんとした文化的にも経済的にも、っていうか経済的にはどの程度なのか分かんないけど、独立出来てるじゃないですか。それがすごくいいなと思いますね。

津室(ルチーダフレンズ):
初めて山口に来られたときと、今では印象が変わっていますか?

佐藤時啓:
そうですね、初めて来たときは、まず匂いでびっくりしちゃって。その時の匂いっていうのは緑の匂いがしたんだよね。YCAMの前ですごく山の匂いがしてすごい印象的だったんだけど、だんだんそれが慣れてきたね(笑)。自然になってきたっていう。

4.YCAMについて

津室(ルチーダフレンズ):
アーティストとして、地方にあるYCAMのような施設をどう思われますか?

佐藤時啓:
やっぱり、YCAMはYCAMの、東京でやらないことをやろうとしているのは良いなと思うんですよ。こういうことはけっこう大変なんだろうなと思うんだよね(笑)。みんな普通は「東京でやってるものを地方でも」みたいなこととか、そういうことがあるわけなんだけどね。YCAMに行かないと見れないということはすごい重要で、それがないとなかなか皆集まらないよな、ってところはあるし。

あと僕が感じるのは、地元との関係をどうやっていくのかなっていうところがあるんだよね。その辺は多分、会田さん達も頭を痛めてる、悩ませてると思うけど(笑)。だから、ここにいるルチーダのような市民の人たちの関係がいろんなところで支えになってくればいいよね。

会田(YCAM):
そうですね。meets the artistという企画は、そういうことを目的としてやってる企画ではありますしね。

5.佐藤さん自身について

津室(ルチーダフレンズ):
では最後、佐藤さん自身について伺います。子供の頃の『夢』はなんですか?

佐藤時啓:
子供の時ね、僕は、何になりたかったのかなぁ。なりたい職業はいろいろあったけれど・・・。記憶に残ってるのは、やっぱりもの作ったりするのが好きだったから、アーティストとかじゃなくて、エンジニアとかいった、そういう「モノ」を作る人になりたかったんだけどね。だんだん現実が近づいてくるとそういうものが僕にとって向かないんだっていうことがだんだん分かってきて(笑)。最終的にこう、引き算をしていくとアート系が残ってしまったっていうことだったんだけど(笑)。

津室(ルチーダフレンズ):
そぎ落とされたっていうか純化されたっていうことですよね(笑)。次に、佐藤さんにとって「表現」とは何ですか

佐藤時啓:
うーん、表現ねぇ。アート活動みたいなことでもいいのかな?そういうことはよく考えるんだけど、一言で言うと僕にとっては、他人に影響を及ぼさない自分の内側の宗教みたいなもの。要するに、生きるための指針というか、支えというか。それがやっぱりアートを考えていくこと、表現を考えていくことなんですよね。その点については明解なことなんだけど。ちょっと抽象的かな?

津室(ルチーダフレンズ):
他人に影響を及ぼさない?

佐藤時啓:
「宗教」って言うとさ、どうしてもほら、人を勧誘したくなっちゃうでしょ(笑)。まぁ確かにこう「映像きれいだよ」って巻き込んでいるところもあるんだけど(笑)。でも、そうじゃなくて、要するに誰か他者を信心するっていうことじゃなくて、自分自身を信ずることだよね。自分自身の中の支え。

片山(ルチーダフレンズ):
自分がこうだって思うことに対しての表れっていうことですか?

佐藤時啓:
そうですね。だから表現することっていうのは結局自分を考えることっていうか、そういうことだと思うから。それが、言い換えると僕にとっては宗教みたいなものなんですね。

片山(ルチーダフレンズ):
自分を表現する、明確にするっていうことですよね。自分を表す。

佐藤時啓:
だって信じなきゃいけないわけでしょ?もう絶対信じてるわけだからさ。

片山(ルチーダフレンズ):
そうですよね。自分がこういうことをしたいって。

佐藤時啓:
例えば宗教っていうのはやっぱりそこに絶対な神があったりするわけで、そこにすがっていくわけでしょ。それが外側にいかないでやっぱりアートっていうことをやっている以上は内側にあるんだよね。

原田(ルチーダフレンズ):
それは「見る」と「見られる」っていうのにも関係してくるんですか?

佐藤時啓:
うーん、自身を見つめて、自分自身が面白がっている事、信じている事を外側に表す事が、表現になるわけだけど、結果、一方的に自身から吐き出すということだけではなくて、それを他者がどう受け止めているか、という想像力が必要で、それが「見る」と「見られる」という関係だと思います。

津室(ルチーダフレンズ):
表現についての考え方は他人に影響を及ぼさないと言われたけど、表現したその表現物は結果として人に影響を与えますよね。そしてみんなまわりに寄ってきますよねぇ。

佐藤時啓:
影響を及ぼそうとするのではなく、自分を見つめる事、信ずる事が、結果的に他者に“何か”として伝わって行くというあり方が重要だと思いますね。

津室(ルチーダフレンズ):
ちょっと話しは変わって、創作活動に行き詰まったときはどうされるんですか?

佐藤時啓:
行き詰まったときはね、あのー・・・いつも行き詰まるんですよ(笑)。いつも行き詰まるから、例えば・・・そういう時は対処の方法がないんですよ。時期が来るのを待つしかないんだよね。

片山(ルチーダフレンズ):
時が過ぎれば何とかなっていると。

佐藤時啓:
そうそう(笑)。

津室(ルチーダフレンズ):
いつも「これをする」とかいうことはないんですか?

佐藤時啓:
行き詰まると、サウナとかにはよく行きます(笑)。サウナとかスーパー銭湯に行って、2時間とか3時間とかずっとボーっとしてるんだよね。でもそれすらも最近忙しくて出来ない状態だけど。なんかとにかく、ある日何かがやってくるんですよ。それで何とかなっちゃうっていう状態が続いてるんだけどね

原田(ルチーダフレンズ):
山口の温泉は良かったんですね。

佐藤時啓:
そうだね。

原田(ルチーダフレンズ):
その何かって期限内にはやってくるんですか?

佐藤時啓:
なんとか今のところ前日ぐらいにはやってくるんだよね(笑)。うん、まぁそんなもんですよ。

津室(ルチーダフレンズ):
じゃあ佐藤さんにとって、「光」と「カメラ」とは何ですか。

佐藤時啓:
そうですね、いま、一番作品の根幹っていうと、例えば材料でもないし、方法でもないし、考えていくとやっぱり“光にまつわること”。それをいまも考えてるんだと思うんですね。それを表すための方法というかかたちが、「カメラ」なんですよね・・・っていうことかな。それで、テーマが光にまつわることをとにかくやってる、というのはありますね。

津室(ルチーダフレンズ):
今後の予定を教えてください。

佐藤時啓:
今後の予定は今月中(2005年3月)に海外に渡航して、今年はニューヨークで制作をしようと思っています。

津室(ルチーダフレンズ):
いつ頃までニューヨークに滞在されるんですか?

佐藤時啓:
12月までです。

佐藤(ルチーダフレンズ):
日本に戻られたら、どうするかっていうのは?

佐藤時啓:
分かんないですね。

片山(ルチーダフレンズ):
ニューヨークで作家活動っていうのは、呼ばれてなにか作品を作るっていうプロジェクトなんですか?

佐藤時啓:
もちろん展覧会はあるんだけどね。それだけじゃなくて、今、日本だと当たり前に出来てることでもけっこう向こうだと当たり前に出来なかったり、ちょっと違うことってあるんですよね。それを考えていろいろ勉強したいなと。

片山(ルチーダフレンズ):
自分の勉強のために行くってことですよね。学生などを教えるためではなくて。

佐藤時啓:
そうです。教えるのではなくて自分の勉強のために行くってことですね。分りやすいこと言ってくれますね。そういうことです。

津室(ルチーダフレンズ):
本日はいろいろありがとうございました。以上です。

佐藤時啓:
ありがとうございました。

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