「二重存在論:Desire of Codes|欲望のコード」
text:三上晴子
新作「Desire of Codes|欲望のコード」は、「二重存在論」をテーマに「個」の存在を、パブリックとプライベートの境界線から考えたインタラクティブインスタレーションであり、「データとしての身体」と「ここにある肉体」との境界が曖昧になっていく現代の状況を表現した作品です。
現在の情報化社会では、欲望が渦巻くところに更なる欲望が加速され、あなたのデータは剥き出しに反射、解析、書き換えられ、二重の個が螺旋状に存在していると言えます。例えば、私がインターネットで友人の誕生日のプレゼントに「クマのぬいぐるみ」の本を購入したとしましょう。そうなるとインターネット上のデータでは「私はクマのぬいぐるみに興味がある人物」と認識されます。そして「この本を買った人はこんな本も買っています」という全く興味がないカテゴリーのメールが続々と届くことになります。このようにして「クマのぬいぐるみが好きな人物」のデータが次々と私の前に現れ、この情報は必ずどこかでデータ化されるのです。一度打ち込まれた「欲望の情報」は、それが「欲望」であるがゆえに、消えることはなく、増殖していくことになるのです。ユーザの行動記録がグラフ化されている現在はその行動もトレースされています。
Googleなどの検索システムは、我々の意識する以前の情報、つまり我々の脳の中身をダイレクトに集積していると思われます。私が答えを得ようとして、あれやこれや思考を巡らせてタイプする検索キーワードは、いつのまにか私自身を映し出している鏡になっているのかもしれません。そして我々の死後も我々のデータやメール情報などが、コードとなって我々の残骸として永遠にネット上に漂うことになるでしょう。二重存在論はネット上だけではありません。もし、あなたが昨日購入したもの全てのレシートやクレジットカード、ポイントカードなどのデータがここにあるとしましょう。朝にある店でパンを買った、この電車でここに行った、Aという場所でBを購入した、こんなビデオをレンタルした、など。これらのデータの羅列から本当のあなたの姿が浮かび上がるという分析もあり、はたしてこのような「データ」があなた自身なのか? あるいは、目の前に現実にそこに存在する肉体があなたなのか? もし、あなたのIDやコード自体が、欲望をもったらどうなるのでしょうか。個人情報の問題は、今後も加速し、住基ネットに代表されるように1つのコードでパスポート、年収、支出、納税額、交通違反歴、病院の通院歴など、あらゆる個人の行動がひとつのコードに情報化されていく可能性も否めません。それ以上に、それがあなたの病院の病歴記録だけではなく、あなたのおじいさん、さらに祖先までが何の病気で亡くなったのかというDNAもデータとしてコード化されてしまえば、あなたが何の病気になるであろうという生死の予測まで、そのコードで解析されていくことになるでしょう。
そのコードとは、プログラム言語の命令を記述した文書であるソースコードのことであり、用いられるプログラミング言語の仕様に従ってソースコードが記述され、それを変換することによってコンピューターは命令を理解していきます。また、生物学的意味のコードとは一般的には遺伝子暗号を示しています。私は単にこのようなことに警鐘をならすために作品をつくっているのではなく、冒頭に述べたように「データとしてのあなたが本当なのか」、「そこに現実に存在する肉体があなたなのか」という「存在」の問題を表現しているのです。コードが欲望をもつならば、それは我々の欲望であると言えるのです。
(作家コンセプトノートより抜粋)