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[池田亮司インタビュー]

今回の展覧会「supersymmetry」は、2004年のコンサート「C4I」、2008年の展覧会「datamatics」に続いて、6年ぶり3回目となるYCAMでの新作の発表の機会となります。まず、これまでの作品を振り返りながら、今回の新作に至った経緯についてお聞かせください。

「C4I」は、それ以前の10年間に渡るダムタイプでの活動の中で、自分が考えたありとあらゆるアイデアを全て取り入れた作品で、そこにはその後に展開していく全ての要素が散りばめられた、言わば「スクラップブック」のような作品です。僕が自分のカメラで撮影したランドスケープの映像など、今にして思えば表現としてやや饒舌な部分もいくつか見られますが、そうした「饒舌さ」がその後の「datamatics」シリーズでは削ぎ落とされ、さらに「test pattern」シリーズに至っては白と黒、つまり「0と1」のバイナリ表現だけになっています。

池田亮司 “C4I”(2004年/YCAM委嘱作品)
C4I(2004年/YCAM委嘱作品)
池田亮司 “datamatics [ver.2.0]”(2008年)
datamatics [ver.2.0] (2008年)
池田亮司 “test pattern  [nº1]”(2008年/YCAM委嘱作品)
test pattern [nº1] (2008年/YCAM委嘱作品)

「0と1」とは、言ってみれば「YesとNo」ですよね。この「YesとNo」は、人間が論理的に思考する上での最も基本的な部分で、これをさまざまな事象に適用し、積み重ねていくことで、人間は知的な活動、社会生活を営んでいます。そして、あらゆる物事が膨大な数の「YesとNo」によって、離散的に構成されているというのが科学の基本的な考え方です。
僕が作品を制作する上で、これまでずっと意識してきたテーマは「連続と離散」なんです。一見、連続的に見えるものであっても、全ては離散的に構成されているのではないか。対象を捉える際のスケールが、連続というイリュージョンを生み出しているのではないか。もしくは、自然の本来の姿というのは、数学における実数や無限の世界のように、われわれ人間の「YesとNo」という最小単位の判断の解像度がクラッシュしてしまい、まったく太刀打ちできないほど捉えがたく奇異なものではないのか。そういった問題意識が常にベースにありました。だから、「test pattern」で「0と1」という最小単位に還元したことで、これ以上追求しても仕方が無いのではないかと、そう感じていました。
そうした矢先に出会ったのが量子コンピューターでした。量子コンピューターは、僕らが日常的に使用しているコンピューターにおけるデータの最小単位「ビット」の代わりに「キュービット(量子ビット)」と呼ばれる単位を持ちます。このキュービットは、「0か1か」ではなく、「0であると同時に1である」という重ね合わせの状態を取り、これにより旧来のコンピューターではできなかった暗号解析などの複雑な計算もおこなえるようになると言われています。この「0であると同時に1である」という量子コンピューターの基本的な考え方に触れたことで、さらなる追求として、今回の「supersymmetry」のベースとなったパフォーマンス「superposition」の制作がスタートしました。タイトルの「superposition」とは、まさに量子力学における「0と1」の重ね合わせの状態のことで、どんな優れた科学者でも描けない、そして誰も知覚できない状態を示唆しています。

池田亮司 “superposition” 2012年にパリの国立ポンピドゥーセンターにおいて初演されたパフォーマンス作品。三層構造の映像と、圧倒的音響が展開する中、男女2人のパフォーマーが舞台に現れ、様々なオペレーションを実行し、映像と音響に反映される。映像、音響、パフォーマンスと複数の層の重なりから、複雑に編まれた作品。
superposition(2012年)
Oct. 25-26, 2013 KYOTO EXPERIMENT 2013
photo: Kazuo Fukunaga courtesy: Kyoto Experiment

2012年にパリの国立ポンピドゥーセンターにおいて初演されたパフォーマンス作品。三層構造の映像と、圧倒的音響が展開する中、男女2人のパフォーマーが舞台に現れ、様々なオペレーションを実行し、映像と音響に反映される。映像、音響、パフォーマンスと複数の層の重なりから、複雑に編まれた作品。

池田さんは、「datamatics」シリーズや「test pattern」シリーズに代表されるように、CDからコンサートピース、そしてインスタレーションまで、多様なアウトプットの中である種「サーガ」とも言えるようなかたちで作品を派生的に展開されています。今回の「supersymmetry」も、「superposition」から派生したものとのことですが、一連の作品群はどのように派生してくるのでしょうか?

新しい作品のシリーズは、その時点で取り組んでいるシリーズが終わろうとした時に、自然と始まります。プロジェクトを始める前からきちんと最終的なシリーズの構成まで決定して、それからプロジェクトを始めていくのだと多くの人たちに思われているようなのですが、そういうことは全くありません。他のアーティストと同じで、何かきっかけが最初にあって、そこからプロジェクトを進めていくうちに、いろいろなことが決まっていきます。
たとえば「datamatics」は2006年にスタートしたのですが、そこから派生したインスタレーションが15種類あって、今でもそのシリーズの中で新しい作品を制作しようという話が持ち上がります。2008年にYCAMで初めて発表した「test pattern」もそうで、その後にインスタレーションが6種類、そのほかにもライブ・バージョンも発表しましたが、これも事前に決めていたことではありません。美術館やフェスティバルから機会を与えられて、条件の範囲内で興味のあること、試したいことを追求してきた結果だと思います。
「superposition」は2010年から制作を始めて、2012年に発表したのですが、その過程で出てきたアイデアのうち、採用されなかったものがおそらく数百はありました。こうしたアイデアの中に、将来「superposition」のインスタレーション版をつくるとしら、その時に実現したら良いのではないか、というようなアイデアが多数含まれていたのです。そこから「supersymmetry」へと展開していったという感じです。

「superposition」は、ステージという空間を持ち、そこに人間のパフォーマーが登場し、リニアなタイムラインに沿って展開していきます。ある意味では古典的な形式を多分に取り込んだ作品とも言えると思うのですが、実際に発表してみてその辺りの印象はどうでしたか?

劇場が古典的と言えばたしかにそうなのですが、それは美術館でもそうだと言えるし、劇場ならではの良さを引き出すというか、その場所をどのように使うかということを意識することには変わりはありません。ダムタイプにいた時には劇場でできる様々なことを試していたのですが、ダムタイプを離れて以降の10年は意図的に劇場作品を遠ざけていて、ああやって久しぶりにやってみると、大変だったけど、面白かったですね。たとえば、ステージ上の人が放つオーラみたいな話というのは、これまでほとんど信じていなかったのですが、やってみると多少はあるのかなと感じたりして、そういう部分などは面白かったです。

「superposition」で生身の人間をパフォーマーとして起用したのは、どういう理由からですか?

当初は「datamatics」の拡張のような感じでステージ上にセットを組むつもりでした。ただ、それだとこれまでの作品の繰り返しのようになってしまうので、「人でも入れてみようか」というある種軽い気持ちで実際に試してみたんです。
その時点では、人を入れると作品がどうなるのか全く想像できていなかったのですが、とにかくダンスと演技をすることだけは禁止していました。なぜなら、僕がディレクションできないからです。僕がディレクションできるのは、音楽的なことだけですからね。そういう限界の範囲内でどこまでできるのかを試しながら、今でも少しずつ変えています。

今回の「supersymmetry」は、「superposition」から派生したということですが、両者の関係性は具体的にどういったものなのでしょうか?

基本的には「superposition」のインスタレーション版という位置付けです。「datamatics」から「data.tron」が生まれたように、「superposition」の要素をインスタレーション向けに変換したり、あるいは先ほど言ったように制作の過程で出てきたインスタレーション向けのアイデアを取り込んだり、そうやって制作を進めています。
その一方で、この作品は今年から来年にかけてジュネーブにある研究機関「CERN(欧州原子核研究機構)」でおこなうレジデンスの成果を反映させるプラットフォームでもあります。
去年、ヒッグス粒子が発見されたというニュースがありましたが、宇宙の質量とエネルギーのうち、我々が観測できる通常の物質は約4〜5%で、残りはダークマターが約27%、ダークエネルギーが約68%を占めると言われています。このダークマターの謎を解明するのではないかと言われているのが、超対称性(=「supersymmetry」)です。これは「標準模型」と呼ばれる物質のカタログを構成する粒子と対を成すかたちで、未発見の粒子「超対称性粒子」が存在するというもので、僕がCERNに滞在する時期にちょうどそれを発見するための実験がおこなわれるんです。作品の中に、実験のデータやテクノロジーが直接投入されることはないですが、CERNの物理学者たちといろいろとディスカッションする予定なので、その成果が反映されていくでしょう。

4月19日には関連イベントとして「supercodex [live set]」も開催されます。こちらは昨年発売されたCD「supercodex」のライブ・パフォーマンス版とのことですが、今回の新作とはどのような関係があるのでしょうか?

このライブ・パフォーマンスに使用するソフトウェアが、「superposition」の制作過程で生まれたものなんです。技術的にできることが多いので、今回YCAMでやるのが2度目なのですが、東京でやった1度目とはかなり異なってくると思います。当然、CDからライブ・パフォーマンス向けにアレンジしていますから、家で聴くのとは比較にならないくらいかなり強烈な体験になるはずです。

聞き手:阿部一直(YCAM/本展キュレーター)