審査員コメント(敬称略)
(1)このテーマを聞いて想像した作品、プロジェクト
→兼松さんならどう問いかけを置き換えますか?
・「うわさ」の力で街を賑やかにするアートイベント「八戸うわさプロジェクト」
https://greenz.jp/2010/12/29/hachinohenouwasa/
※まちに眠る人と人のつながりという財産を可視化する、どこでも応用可能なプロジェクト
・街が一変するデザインで投票率を上げた「KOTOBUKI 選挙へ行こうキャンペーン」
https://greenz.jp/2011/08/24/metromin201108/
※生活保護の街に選挙カーがくるようになり、街として認められたストーリー
・「生まれ変わる」ための復興プロジェクト「石巻2.0」
https://greenz.jp/2011/09/27/ishinomaki20/
※メディアを立ち上げたことで人が集まり、能動的なソーシャルデザインが動き出した
・「オリガミ×モッタイナイ」文化から生まれた「四万十新聞バッグ」
https://greenz.jp/2011/03/04/shinbunbag/
※新聞という紙メディアがひとつの役割を終え、物質として次の形へ
「ホンモノの文化を受け継ぐメディアとは?」
世にあふれるノイズを断舎離し、
ホンモノの情報と出会う確率を高め、
身体的かつ肯定的な生きる智慧として定着し、
やがて文化として継承されるまでに、
情報の価値を高めるにはどうしたらいいのだろう?
(2)メディアによって生活が変わったことを一番実感したときのこと
恋人や家族と、一日中、寝ている間もSkypeでつながることで、
離れていても、隣の部屋にいるような気持ちになること。
問いかけるインターフェース。問われるオーセンティシティ。
(3)自分の人生観を変えた人、作品、プロジェクト
▼スカベンジャー(渋谷ゴミ拾いプロジェクト) https://www.jarc.net/janca/ageing/jp/sedit/0101_0403.html
憧れのFINAL HOMEの揃いのユニフォームを着て、
渋谷でみんなでゴミ拾い。ときにはラジオをかついで。
それまでタバコのポイ捨てが当たり前だった自分に、
いかにゴミを捨てるのは簡単で、拾うのは大変か、
当たり前のことを問いかけた。「おれは、どうする?」
もうひとつ、いかに見慣れた渋谷のまちを、
低解像度で歩いていたかもわかった。
何かを見ているようで、何も見えていなかった。
入り口の楽しさと不可逆的な問いかけ。
▼サンタのよめ
https://santanoyome.com/
https://greenz.jp/2012/03/14/santanoyome/
サプライズプレゼントを通じて、幸せを循環させるプロジェクト。
サプライズの魅力は、仲間うちで秘密を共有すること
信頼や貢献に根付いたコラボレーションが生まれること、
そして、「愛されている」という思いがコミュニティで循環することだと思う。
社会に関わる活動を行う人たちを眺めていると、
満たされない部分を満たそうと、
エゴイスティックになってしまう場合と、
すでにコップのなかは愛で満たされていて、
あふれた分を次に回していこうという場合と、
モチベーションの出どころが分かれているように思う。
言うまでもなく、後者の方が健やかだけど、
なかなかコップが満たされていることに
気づく機会は少ない。
その貴重な機会をつくりだす、
素晴らしいプロジェクトだと思います。
(4)テーマを考えるうえで面白いと思う本や資料がもしあれば
『集合知の力、衆愚の罠』アラン・ブリスキン
『U理論』オットー・シャーマー
『何も共有していないものたちの共同体』アルフォンソ・リンギス
『人間の土地』サン=テグジュペリ
『サブジェクトからプロジェクトへ』ヴィレム・フルッサー
『ソーシャルデザイン』グリーンズ
(5)メディアによりプロセスを共有することでコミュニティのあり方はどう変わると思われますか。
その結果どういったことを期待されますか。
「信頼」と「透明性」が高まると思います。
それは「不信」と「隠蔽性」という、
現代の病理を乗り越える大事な足がかり。
ただ、プロセスを共有するにもレイヤーがあるように思います。
20%くらい、中途半端な段階で共有すると、
責任の不在で、不毛な議論に終始してしまう。
一方で、80%くらい、自分ごととして時間をかけて掘り下げてきた
アイデアを共有するのであれば、ガチでぶつかったとしても、
それは対話になる。根っこがしっかりしていれば、
第三の道もみえてくる。
とはいえ、しっかり向き合って、
ガチでぶつかることから離れてしまったのも現代性とすれば、
最初は戸惑うこともあるけれど、人間の甘えや弱さも知りながら、
本当は近づいていきたい、ありのままの強い自分を見つけていくこと。
ソーシャルデザインとして、多くの人と関わりながら、
自分のアイデアを世に問うことは、オーセンティックな自分に近づく、
修業のようなものだと思っています。(ぶっちゃけ)
ひとりひとりが強くなれば、コミュニティも強くなる。
そのためには、明確な、具体的なプロセスだけでなく、
背景に流れる空気感、存在感も含めて、
ホリスティックな体験を共有できる何かが、
このコンペから生まれるといいですね。
Q. テーマから想像した作品、プロジェクト
→坂本さんならどう問いかけを置き換えますか?
自分たちの生活のなかに、どれだけメディアが関わっているかを調べる。
もちろんマスメディアだけでなく、SNSなどを含めて。
また、それらが自分らの思考や行動に、どれだけ影響を及ぼしているか調査したい。
結果はかなり恐ろしいものになりそうな予感ですが。
その上で、自分たちの思考方法や感覚、経験の蓄積、あるいは知識や経験の共有、
そして作品作りに、メディアをどのように使えるか検証したい。
また、メディアが、アートや音楽、建築、演劇、映画、、などと同様に、
作品を作る場であり、素材であり、道具であることを再認識したい。
Q. メディアを通してコミュニティのあり方はどう変わり、その結果どういったことを期待しますか。
上記1)の発展として、単なる「作品」を作るにとどまらず、
人々の生活のうえで、どうメディアをコントロールしつつ使っていくか。
そして、その生活とはどのようなものであるべきかを、考えていくことができるだろう。
例えば「お金」というメディアの多様な可能性。
人々を競争させ、欠乏の恐怖を起こさせるお金ではなく、
人々を結びつけ、幸福にするお金の可能性。